銀三

 深く深く思考の波にさらわれた銀三はまだ37度ある熱に久しぶりの頭痛と吐き気を感じながら上半身を起こした。

 寝るべきなのだろう本当は。解ってはいるのだが頭の中がグルグル回っていてなかなかと眠りの兆しは訪れなかった。

 青子が先ほど慌ただしくとなりの家へと出掛けた。

それを見届けた銀三は今まで悩んでいた事をもう一度しっかりと並べ直していた。

「捕らえるか捕らえないか」

 二つに一つ。それが答えである。

 もし、今ここにKIDが現れたら銀三は間違いなく追いかけるだろう。

 だがもし捕らえる事が出来たとしてもその後手錠を掛ける事が出来るだろうか?

「KIDと・・・快斗君・・・か」

 二人を頭の中で並べ立てる。

 月の光のような凛とした立ち振る舞い、キザなセリフと鮮やかなマジックで自分をひいては警察全部を翻弄する世紀の大怪盗。

 ひまわりのような明るい笑顔と子供の様な愛嬌のある仕草で自分や青子、周囲の人達を楽しくさせてくれる隣の子供。

全く雰囲気も醸し出す空気も違う二人。

意図して自分を作り上げているのか、それとも無意識に使い分けているのか。



「たっだいまぁぁぁ」

 予想以上に帰りの早い青子に銀三はおや?と首をひねる。家を出てからまだ10分とたっていない。

 だかだかだかだかだかだか。 

 急いだように階段を駆け上がる青子の足音が家中に響いていた。

 階段踏み抜くなよ青子・・・

 苦笑しつつ戸を振り返りどんな顔で入ってくるのか期待と不安を抱きながら待ちかまえる。

「お父さんっ」

 バァァンと勢いよくドアをあけると泣きはらして少し腫れている目を隠すようにうつむき、つかつかと父に近寄り出ていく前のようにバフッと布団に顔をうずめた。


「青・・・子?」

 肩が震えていた。何があったんだ?

 心配気に青子の頭に手をやるとようやく嗚咽を押し殺したかのような声が聞こえた。

 泣いて・・・いるのか?

「どうした?快斗君に何か言われたのか?」

 まさか彼がそんな事するはず無い・・そう期待しつつも今の青子の状態を見ると勘ぐりたくもなる。

 おのれうちの可愛い娘を泣かすとは許すまじっっ。

「ちが・・・うの・・」

 小さくつぶやく青子の声に快斗への怒りを瞬時に消す銀三。

「それじゃあ?」

 一体何事なんだ?困り切った顔で銀三が問い返した時突然・・・

 はじけるように青子が笑い出したのだ。

あははははははははははははははは

「・・・・!?」

 泣いたせいで真っ赤になった目に新たに笑い涙を浮かべとうとうお腹を抱えながら後にコロンと転がりゴロゴロ回転し始めた。

(わ・・笑っていたのかっっ)

 あの肩の震えは笑いをこらえていたらしい。

 銀三はあまりの展開にただ、呆気にとられて、未だ隣で畳みの上を転がり続ける最愛の娘を見つめ続けるのだった。


「あーすっきりした。」

 笑いが止まったのはそれから約5分後。

 実に長い笑いにいつか酸欠で倒れるんじゃ・・と銀三が心配したころ始まったときと同様唐突に声は止んだ。

「なにごとだ?」

「え?あっごめんね。お父さん。」

 両手を合わせてお茶目に笑う娘に銀三は首を傾げたままだ。

「ちょっと快斗ぶんなぐってきたらすっっっごくスッキリしちゃった。そんでね今まで快斗の事でうじうじ悩んでた青子って超バカって思ったらなんか笑い止まらなくなっちゃって。」

 ぶんなぐってって・・・本当に殴ってきたのか。

 あのけが人の快斗君を・・。

「それにね。」

 さらに嬉しそうに言い募る。

「快斗のあんな鳩が豆鉄砲くらったような顔初めてみたからおかしくておかしくて。」

 思い出すだけで笑えるーーーーーー。

 またケタケタと笑い出す青子。

「あっそうだ青子紅子ちゃんに電話してくるね。快斗帰ってきたの教えなきゃ。」

 楽しげに手の平をポンと打つと慌ただしく銀三の部屋を後にする。

 それを目をしばたかせながら見送るとしばらくして、ようやく事態が飲み込めたのか銀三は口元に笑みをのせた。


「さすが私の娘だ。」



 やはり強いな―――――

 青子が自分の娘であることが誇らしいそう思う。

 そして自分もうじうじ悩んでいるなんて情けないな。

 娘に負けているぞ。


 怪盗KID。彼は銀三にとって永遠のライバル。宿命の敵だ。

 どうあっても彼を捕らえる事を止めるわけにはいかない。

 それは決まっている。

 そしてそれを前提としていながらも、隣のガキをやはり自分の息子のように思ってしまうのだ。
 本当の息子になる事はないとしても。

 それらを足して銀三がだした結論はただ一つだった。


     忘れる。


 それがどれだけの矛盾を後ほど生じるか・・なんて銀三にも解っている。

 だが、KIDは捕らえたい快斗は捕らえたくない。

 それだけは譲れないのだから仕方がない。

 めんどくさいことはその時になってからまた考えればいいのだ。

 それに怪盗KIDがそう簡単に捕らえられる筈がないのだから。


 だから良いじゃないかそれまでは。

 いつかもし捕まえてしまったらそれはその時考えよう。

 だから今は。

   KIDは追う。
   快斗は追わない。
   それだけでいい。

 思い立ったら吉日とばかりに銀三は引き出しから便せんを取りだした。


 それから10分後。


 ゴミ箱とその周りに散乱した紙屑を背に銀三は意気揚々と風邪気味の体で隣りの家へと向かったのだった。

 その後チャイムがなかなかおせず人様の玄関先で挙動不審な行動をすることになるがそれはまた別の話。

 今はそう、書き終えた手紙と預かっていた帽子を手にスキップでもしそうな気分で家の階段を駆け下りるだけだ。


       end



そしてああなるわけですね。
一応考えてはいたのです。中森親子は元気ですね本当に。