雨が降ったり止んだりしていた先週までとは打って変わって、5月1日、球技大会の当日は晴だった。
五月晴れとはまさにこのことだろう、風はさわやか、暑くもなく寒くもなく、これ以上に快適な天候は望めないというぐらいだ。
「だけどな…」
そんな天気に似つかわしくない疲れ切った顔で、工藤コナンは自分の姿を見下ろした。
白いTシャツ、紺色のジャージ、それから学校指定の運動靴。
「この年齢にもなってジャージで球技大会っていうのもなぁ…」
「私としてはブルマなんてものじゃなかっただけ、感謝しているけど?」
コナンと同じくTシャツにジャージの下(色違い)、という姿で阿笠哀が皮肉っぽい笑みを浮かべる。
かつて、小学生の姿だったときのことを思い出しているのだろう。…なんというか、2度と見たくはない過去の恥、というようなものだ。
「…笑えない…」
はぁ。深々とため息を吐いたコナンだったが。
「コナン君〜!準備できた?」
「うん、こっちはオッケーだよ!」
元気に手を振ってくる吉田歩美の姿を見て、愛想良く答えている辺りがフェミニストたる所以である(笑)。
いつもは下ろしている髪をポニーテールにした彼女は間違いなくかわいいのだが。
「関口、そっちは?」
「こっちも完了〜!!」
叫びながら、サッカーゴールを用意していた関口和仁と太田祐二が駆け寄ってくる。
就任の経緯がどうであれ、とにかく球技大会委員になってしまった彼らは、朝から球技大会の準備に精を出していたのだった。
ラインを引いたり、ネットを張ったりと、球技大会委員も意外に大変だ。
「あ、太田、ボール出してないじゃん!」
作業の進行を目だけで確認して、コナンはサッカーの会場を指差した。
振り返った太田が見ると、確かにあるべきはずのボールがない。
「…あ。忘れてた!」
ボールがなくて試合ができるはずもない。
慌てた様子で倉庫に走っていく姿を呆れて見守っていたコナンは、何かいいたげな視線を感じた。
「…なんだよ?」
視線の主は傍らの哀である。
「…あなたって結局、馴染んでいるのよね…」
諸事情があって委員長を押し付けられ、文句を言いつつも仕切っているコナンなのだ。
いろいろなものに囚われて悩んだり、潔癖で頑固なところもあるのに、柔軟な思考の持ち主でもある。
「悪かったなぁ…」
不貞腐れるが、事実であると認めないわけにもいかなくて、コナンはぷいっとそっぽを向く。
哀はそんな彼の子供っぽさに、くすっと笑った。
ともあれ、球技大会は始まった。
種目はサッカー、バスケ、バレーの3種類で、もちろんクラス対抗。お約束のように賞品も用意されている。
球技大会委員は準備も大変だが、球技大会の間も忙しい。
スコアを記録したり、クラスの順位を張り出したり、審判を務めたり…体がいくらあっても全く足りないというものだ。
当然、試合に出ることはできなくて、コナンのサッカー好きを知る歩美は残念がっていたが、それどころではないのだから仕方がない。
そして委員長のコナンは全体をまとめるため、それぞれの会場を駆け回っていた。
サッカーの会場では午後の最初の試合が始まったばかり。トーナメントの2回戦、3組対2組(シード)の試合が行われている最中である。
自分のクラスが出ている試合なので裏方に回っている関口に声をかけて、ぼんやりとジャッジを務める太田に視線を向けたコナンは。
「あぶねーっ!!」
隣のバレーボール会場からスーパーアタック(ただしホームラン)が太田の後頭部めがけて飛んでくるのに気付いて、後ろなんて見ていない太田にタックルした。
間一髪。
呆気に取られて、関口はテンテン、と転がっていくバレーのボールを目で追いかける。
ボールはサッカーのコートに入り、試合は一時中断し…。
「太田?」
尻餅をついた格好のまま動かない友人に、関口は恐る恐る声をかけた。
太田の視線は地面に膝をついているコナンに縫いとめられたまま。
「工藤?」
そのことに気付いて今度はコナンに呼びかけると、ゆっくりと振り向いた顔が苦笑を湛えている。
「足首、捻った…」
「ええっ!?」
スコアを書き込んでいたノートをベンチに置き、関口は血相を変えて2人に駆け寄った。
「太田は?大丈夫か?」
その間に体勢を立て直しながら、コナンは太田の様子を確認する。
横からタックルした格好だったから、コナンが邪魔で動けなかったのか。それとも腰でも打ったのか。
「…ああ、俺は何とも…」
太田はパチパチと瞬きして、起き上がった。そして衝撃のために地面に転がったコナンの眼鏡を拾い上げる。
縁なしの繊細な作りの眼鏡。曲がっていたら大変だ。
コナンが右足首をさすっていると、関口が心配そうにその顔を覗き込んだ。
「大丈夫?保健室に連れて行こうか…」
「えっと…自分で…」
自分で行くからいいよと言おうとして口を開きかけたコナンだったが。
「俺が連れて行くから、いいよ!」
突然割り込んできた声に台詞を奪われて。
えっ?と思っている間にふわりと体が宙に浮いた。
「な…!!」
何するんだ、と叫ぼうとするが言葉が出ない。
「君たちは試合を続けていてくれよ〜」
コナンを軽々と抱き上げた黒羽快斗は、呆然と立ち尽くす太田と関口にウィンクを残して、さっさと校舎に向かって歩き出す。
その姿が見えなくなってから、ぽつりと太田が言った。
「これ…どうしよう?」
彼の手にはコナンの眼鏡があって。
「…とにかく試合、やろうか?」
関口はそんな友人の肩をぽんと叩いた。
1年生は球技大会で、他の学年は模擬試験を受けている。
シーンとした廊下を快斗の腕に抱えられて移動する。
「下ろせよ!!」
保健室へ向かっているのは分かっていたが、その格好があまりに恥ずかしくて、コナンは顔を真っ赤にしてじたばたと暴れていた。
「下ろしたらコナン君、ここから一歩も歩けないよ?」
涼しい顔で見下ろしてくるこの男、どうにかならないものかと真剣に思う。
「根性でどうにかする!やる気になれば不可能はない!!」
こんな恥ずかしい状況から解放されるなら何でもしてみせる…と、無茶苦茶だと分かっていても考えてしまう。
「…そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに…」
快斗はふぅ、なんてため息を吐いているが、そんなものに惑わされてはいけないのだ。
「恥ずかしいに決まっているだろ!?」
「はいはい。到着ですよ〜」
本心からの訴えを軽く流されて、誰もいない保健室のベッドに下ろされて。
「保健の先生、いないんだね〜」
ま、俺が手当てしてあげるけど、なんて言いながら勝手に戸棚を漁っている快斗の背中を睨み付けた。
「大体、授業はどうしたんだよ!?」
快斗は2年の担当だから、球技大会をやっている1年生に付き合っていられるわけじゃなかったはずなのに、と尋ねたのに。
「模擬試験だから別についてなくてもいいんだよ。」
という一言で返されてしまう。
コナンが黙り込むと、包帯と湿布を用意した快斗は、保健医用の椅子に腰掛けてコナンの運動靴と靴下を脱がせる。
…大人の手だ。
そして、当たり前のことかもしれないが、長い指が器用に包帯を巻いていくのを眺めながらコナンは思った。
「お前さあ」
包帯を留め金でとめて、出来上がり〜などと浮かれた口調で言っている快斗に呼びかける。
…たとえば、高校生男子を軽々と抱き上げる大人の体、とか。
「この8年、何やっていたんだ?」
相変わらずのノリで、やることなすこと変わっていないように見えても、確実に大人になっている快斗。
2度目の子供時代を送っていたコナンとは違う時間を過ごしたはずだ。
「え?」
きょとんとして見つめてくる快斗は、一瞬後にはコナンが真剣なのを感じ取ったらしい。
「…普通、だったよ。」
過去を懐かしむ表情で、そう言った。
「普通に大学に行ったし、普通に就職して。別に特別なことなんてやってないよ。」
その結果が数学教師。まあ、それも「普通」だと言えるけれど。
…そんな「普通」の歳の取り方を、したかった。
昔、「工藤新一」だったときはそんなことを考えたことはなかったが、今になってコナンはそう思う。
平凡でもいいから、普通に生きてこれたらよかったのに。
「この前…怒らせるつもりじゃなかったけど、あれ、本気だった。」
白いシーツに視線を落として、複雑な想いを抱えて、コナンは低い声で囁いた。
「何が?」
簡単に訊いてくる快斗にすべてを理解されたいと思うわけではないのだけれど。
「工藤新一なんて人間、もうどこにもいないんだってこと」
「…コナン君」
素直に答えると、さすがに快斗も言葉を失ったようだった。
先日、会議室で2人のときに同じような会話をしたことがあった。
快斗に新一の名で呼ばれたのがひどく気に触って、『工藤新一なんてどこにもいない』と言ったら殴られた(もちろん、本気で殴ったわけではないだろうが)。
きっと快斗も傷ついたのだろうとはコナンも頭では理解しているのだが。
「どんなに焦っても、今更お前に追いつけるわけじゃないって分かっている。生きているだけマシで、結構楽しくやっているしさ」
本来なら同じ歳の快斗に再会して、改めて現実を突きつけられた。
それでも現実は変わらなくて。
本当は10歳も年下の同級生たちと、それなりに楽しく学校生活を送っている自分に時々苛々する。
「…でも新一は新一じゃん?」
快斗は俯いたコナンの顔を覗き込んだ。
そんな快斗と視線が合いそうになって、コナンは思わずふいと横を向く。
「そう、かなあ」
今は快斗の視線を受け止めることができない。
「時々ふとしたときにさ、俺、一体何やってんだろうって思ったりする。」
今更なのに。後悔しても仕方がないのに。
そして、何よりも悔しいのは。
「本当はお前とタメなのにとか、すっげー悔しいし」
…それでも快斗に敵わないこと、なのだろうと思う。
「何でお前みたいに能力あるヤツが平凡な教師なんかやってんのか分からねーよ」
かつてだって全面的に認めていたわけではなかったけれど、コナンは快斗が多方面にわたって優秀であることは認知していた。頭の回転もいいし、運動神経もいいし、行動力もある。手先も器用で人付き合いもうまくて、容姿だって悪くはない。
それなのに、あれほど世間を騒がせていた怪盗は、こんな普通の学校で、数学教師なんかになっているのだ。
何もかも悔しい。
「でも、コナン君がいなかったら、何をやっててもむなしかったし…」
快斗の方は快斗の方で、いろいろ事情はあったのだ。
姿を消したコナンを探したり…。
「コナン君がやれっていうならドロボウでもやるけどさ」
「いや、それはきっぱり却下だけど」
そんな過去に言及することなく冗談めかして言った快斗に、コナンは間髪いれずに即答した。
「ほら。だからさ、俺はコナン君に嫌われないように普通になったんだよ?」
そして快斗は笑いながらもう1度コナンの顔を覗き込んだ。
「俺はね」
快斗が少しだけ目を細めると、コナンよりも色の濃い双眸が更に深い色を帯びる。
「コナン君がここにいてくれるだけで幸せなんだよ。」
俯いたまま息を詰めているコナンと、下から見上げるようにしている快斗と。
2人の視線が絡み合う。
言葉が出てこない様子のコナンににっこりと笑いかけて、快斗はすっと手を伸ばした。
「生きていてくれないと、こうして…」
甘い声音で囁きながら。
「触れることもできないし」
そっとコナンの頬に触れて。
「キスすることもできないじゃん…?」
コナンが息を呑むのに構わずに、そのままギュッと抱き寄せて、唇にキスをした……。
と。
「コナン君!そろそろ時間だけど…」
声とともにガラガラと音を立てて開かれた保健室のドア。
これは塚原真紀の声だ。
「…お邪魔しました…!」
待て!とコナンは思ったがもう遅い。
快斗の体が離れて即座にドアの方に目を向けても、そこには誰もいなかった…。
(無理やり終わりv)
(コメント)
………甘い………。
さてさて。一部の方には受けているらしいこのシリーズも、ようやくここまで来ました。ていうか、タイトルの(はじめての…)ていうのは、もしかして私が書くのが初めてってこと?(笑)いえいえ、たかが○○ぐらいで動揺していたらこの先が書けませんね!!
それにしても。
もしかしなくてもこのシリーズ、こんな変な話なのに、当サイトで1番甘くないか!?
ちなみに、コナン君が回想している快斗に殴られたシーンというのが、前回の真紀ちゃん事件のときのことです♪
もはやすでに、ウワサの真相〜なんて言っている場合じゃないですね〜。
真紀ちゃん。
良いところにはいって行きましたねー。
きっと彼女「しまったっ外で聞き耳立てておけばよかった」と深く後悔しているでしょうね(笑)
By縁真 |