最低限の動きで 最大限の成果を



Joker's children
第二話




パソコンのディスプレイに表示された時間を確認したコナンは、とりあえず思考を中断する。
今日ここに来た目的を先に果たさなければならないからだ。
DVDとレポート用紙の束を、パソコンラックの下に設置された自分専用のカラーボックスに入れると、ぱたぱたとスリッパの音を立ててリビングへの扉を・・・・
「会いたかったよコナン〜」
「うわっ!?」
――――扉は反対側から勝手に開き、ノブに体重をかけていたために倒れそうになったコナンの身体は、狙い済まして差し出された腕の中へ。
ぎゅう、と苦しくない程度に抱きしめられたコナンは、やれやれと溜め息をついた。
「昨日も会っただろうが」
それでも自分の背に回される小さな手ににっこりと嬉しそうに笑いながら、学ランに身を包んだ怪盗はきっぱりと言い切った。
「全然足りない」
・・・・小さな科学者が命名した怪盗限定の不治の病『コナン欠乏症』、ただいま絶好調で悪化中。

一通り抱きしめて納得したのか、ようやく快斗の腕から解放されたコナンは、ちょこんと二人がけのソファーに座る。
ここに来た時に座っていたソファーに座らないのは、快斗が一人で座るのを嫌がるからだ。
「やっぱ甘やかしすぎ・・・・?」
こくんと首を傾げた子供の前に、青いカップに新しく淹れられたコーヒーが差し出される。素直にそれを受け取ったコナンは、ふと思い出したようにテーブルに視線をやった。
ぬいぐるみKIDと一緒に置かれたままだったクッキーの袋が、いつの間にか綺麗に消えている。
「コナンってば、姫からもらったクッキー食べ忘れてただろ」
子供の視線の意味を正確に理解した快斗は、くすくすと笑いながら彼の隣りに座った。
彼が『姫』と呼ぶのは、今は小さな姿を取る科学者。快斗は、自分にとって大切な存在に特別な愛称をつける癖がある。コナンの『名探偵』同様、哀の『姫』も、彼女に対する深い感情から来るものだった。
――――初対面時、哀が何者であるか説明を受けた快斗は、ただ哀の頭を撫でた。自分の一番大切な人を苦しめる元凶を作り出した張本人ではあるけれど、君も間違いなく被害者だから、と。それに、こんなに潔く自分の罪を認められる人間が悪人だとは思わないからと、そう言って笑った。
自分の罪を自覚していて、それでも前を見ようとがんばっている哀は、小さいけれどとても素敵なレディだと思っている。だから、限りない尊敬と友愛を込めて、快斗は哀のことを『姫』と呼ぶのだ。
それがわかっているから、コナンは快斗が『姫』という呼称を呼ぶたびにやわらかく笑う。彼にとっても、哀は共犯者である以上に大事な家族とも言うべき存在だから、快斗が哀を大切にしてくれることがひどく嬉しい。
なんだかほんわかとしながらコーヒーを啜るコナンを、快斗は穏やかな目で見る。そんな彼の手にあるのは、劇甘のカフェオレが注がれたコナンのものと同じデザインの緑のカップ。スリッパ同様、コナンと快斗と哀が三人で買い物に行ったときの戦利品だ。
――――ちなみに、哀のスリッパとマグカップは赤だったりする。
「で? 和んでるところ悪いけど、あれは姫からもらったんだよね」
一瞬話の流れを忘れてブレイクタイムを楽しんでいた小さな子供を、さらりと現実に引き戻す。・・・・そういうところはちょっと意地悪だと思う。昔から。
「・・・・忘れてたんだよ」
微妙に視線を逸らしながら言うコナンに苦笑しつつ、快斗は空いた手を差し出す。
「え?」
きょとんとあどけない表情を見せたコナンの前に現れたのは、ミルフィーユとクッキーが盛り付けられた皿。
確かにカップしか持たずに座ったはずの快斗が持つ皿に唖然としながら、それでもコナンはクッキーを摘む。
・・・・哀の怒りは全力で回避したいので。
快斗も事情を察しているから、ミルフィーユとクッキーという微妙な組み合わせのお茶請けを用意したのだろう。
生まれたときからの幼馴染の気遣いに感謝しつつ、コナンは小さい手でクッキーを口に運ぶ。それをにこにこと笑顔で見守る快斗は、皿をテーブルに置いてカップに口をつけた。
面倒な話は、頭に栄養を送ってやってからで充分だ、というのがエンゲル係数が意外と高い怪盗の主張。
小さな科学者も同意しているので、コナンもわざわざそれに異議を唱えたりしない。というか、唱えて地雷の上でダンスを踊るつもりはない。

たった一つしかない命は無駄にすべきではないのだ。

あっという間に綺麗になった皿を前に「ごちそうさま」と声を合わせた二人は、コーヒーを淹れ直して先程コナンが篭っていた部屋に入った。
床に置かれたノートパソコンをすべて立ち上げながら、快斗は昨日の『戦果』を報告する。
「今のところ、奴らが包囲網に気づいた様子はないよ」
その『怪盗』というスキルを利用して作り上げた裏の情報網を使って、快斗は黒の組織の動向を綿密にチェックしている。逆に、その能力をフルに使って表のネットワークを管理しているのはコナン。
「FBIとICPOのネットワークもほぼ完成だ。今のところ、身中の虫は見当たらないな」
各国様々な組織に食い込んでいる組織のメンバーの目をかいくぐり、この神経を削るような戦いを生き延びることができそうな人材を集めるのは、かなり大変だった。なにしろ、優秀な人材ほど組織の息が吹きかかっていたりするので、下手をしたら自ら獅子身中の虫を呼び込んでしまうためだ。
アメリカはFBIの赤井秀一たちが率いるチームが中心になって、ICPOは工藤優作の友人だという刑事を引きずりこんで組織対抗戦線のネットワークを形成している。
哀と阿笠が協力して作り、機械に強い快斗が仕上げた特殊な暗号システムを使い、コナンは協力者たちと毎日のように連絡を取り合っているのだ。
彼らは、幾分かの皮肉を込めてこの戦いを『ゲーム』と呼んでいる。負ければ己だけではなく、自分の大切な人たちでさえ殺されてしまうだろう命がけのゲームだと。
それでも誰も降りる気配がないのは、彼らが自らの意思と誇りをかけてこの『ゲーム』に臨んでいるから。
そうして、組織に対抗するための牙を密やかに磨く二人の天才は、必要な設備を備えた『基地』と称される場所を拠点に、協力者たちと共に組織の力を徐々に削いでいっているのだ。
無論、同じ『基地』に長期間居ついたりはしない。向こうに動きが嗅ぎつけられていなくても、用心に越したことはないからだ。
「後は、日本だけだね」
「ああ」
彼らが作り上げたネットワークには、日本警察が含まれていない。組織の侵食が予想以上に深く広かったために、手がつけられずに後回しにしたせいだ。
政財官界の権力者たちの中にも『黒』に染まっている人間がかなり見られたため、下手に動くとこちらの動きが筒抜けになってしまうことを危惧したコナンは、ネットワーク作りと並行して日本の協力者候補をピックアップする作業を進めていた。
起動したノートパソコンの前に座ったコナンは、候補者リストを表示させる。それを横から覗き込んだ快斗は、くすりと笑った。
「一課の人たちも入ってるね」
「おう。・・・・大丈夫だとは思ってたけど、調べている間はひやひやしたぜ」
コナンは苦笑しながら肩をすくめる。一課のお馴染みの人たちを信頼していたとはいえ、組織の手は縦横無尽に伸ばされている。身辺調査を済ませるまで気が抜けなかったのも当然だろう。
彼の労をねぎらう意味を込めて背を軽く叩いてやりながら、快斗はマウスを動かしてリストを確認していく。
「上層部の人間が少ないな・・・・」
「ああ。奴ら、予想以上に食い込んできてる。――――けど、それが命取りだ」
「え?」
権力に近い人間ほどリストから消えている様子に危機感を募らせていた快斗は、どこか楽しそうにすら見えるコナンの言葉に数度瞬いた。
「せっかく鴨がネギ背負って待ってんだ。肉切り包丁で切り刻んで、鍋にして喰ってやらないと失礼だろ?」
「・・・・もしもし名探偵?」
悪者なんて食べたら食中り起こしますよ?
思わず呟いた快斗の言葉を綺麗に無視し、コナンは唇をくっと持ち上げる。
「この俺を敵に回したことを、全員まとめて三途の川のほとりで後悔させてやるぜ」
獲物を見定めた肉食獣のような、獰猛でいて綺麗なコナンの笑みに、怪盗はしみじみと思った。
(かっこよすぎるよ、名探偵・・・・)
――――気にすべき点はそれだけか・・・・?


「警察の方は俺がハナシつけるから」
快斗が真心を込めて作った夕飯をダイニングテーブルで美味しく頂きながら、コナンはやっぱり楽しげだ。
蒼い目が嬉々と輝く様はひどく美しいが、言っていることはかなり物騒な気がする。・・・・まあ、小さい頃から、笑顔で過激(すぎ)なことをやってきてはいたが。
(ある意味)楽しかった小さい頃の記憶を振り払い、快斗は向かいに腰かける幼馴染みに一応言った。
「いいけど・・・・やりすぎんなよ?」
派手な行動はこちらの命取りだ。
快斗の言葉に、コナンはにやりと笑みを返した。
「もちろん。メインディッシュはやっぱ最後にまとめて頂かないとな」
・・・・とても楽しそうだ。
「・・・・ま、いっか」
楽しそうだし。
――――問題はそこではない。
「って、忘れてた」
三杯酢に浸かったもずくを箸で掬っていた快斗は、思い出したように左手をひねった。薔薇を出す要領で出現させたのは、綺麗に折り畳まれた一枚の便箋。
「あ」
しまった、とコナンの眉が寄る。なにしろ安易に他者の目に触れさせることができないものが快斗の手中にあるのだ。自分の管理不行き届きである。
「悪いけど目、通しちゃった」
「・・・・しょうがねぇな」
読まれたくないならどこかにしまっておくか、手元に持っておくべきだったのだ。情報の確認を優先したとはいえ、かなり迂闊な行動だったことは反省すべきだろう。
快斗は箸を白い鳥の形をした箸置きに下ろし、差し出された小さな手に便箋を乗せる。
「サンキュ」
「どういたしまして。・・・・・・・・コナン」
少し躊躇ってから、それでも快斗は碧い眼でひたりと子供を見つめた。
「どうするつもり・・・・って聞いても?」
――――本来ならそれは、互いの境界線を侵す、許されざる行為だ。怪盗は探偵の、探偵は怪盗の領域を尊重し、お互いの守るフィールドには決して足を踏み入れない。
けれどこれは――――
「ああ。・・・・この事件を、警察でのネットワーク形成に使おうと思ってる」
「え・・・・」
「調べてみたら、公表されていないだけで同一の事件が既に何件も起こってるんだ。東京と大阪を中心にな」
受け取った便箋をテーブルに置きながら、コナンは静かな口調で言葉を紡ぐ。それと反するように輝きを増していく蒼に、快斗は知らず息を呑んだ。
「警察は事件を解決するための手がかりが欲しいはずだ。喉から手が出るほど、な」
「コナンは・・・・新一は、もうわかってるの?」
警察を悩ます事件の真相を、その慧眼は見抜いてしまっているのか。
「まさか」
くすりと艶やかな微笑を浮かべたコナンは、妙に様になる仕草で脚を組んだ。
「俺がわかっているのは、あのDVDがカモフラージュって事と、この事件に関わっているのが二つの犯罪組織だってことだけだ」
「・・・・充分では?」
というか、やっぱり全部わかってるんですね名探偵・・・・。
「でも、『工藤新一』が動いてるなんてわかったら・・・・」
「あ? ああ、違う違う。動くのは警察の人たち。俺は操るだけ」
(・・・・『だけ』?)
なんだか凄い台詞だが、言ったからには彼はやる。間違いなく絶対に。
「・・・・まあ、そっちは任せるってさっき言ったし。けど」
快斗は、真剣な表情でコナンを見つめた。彼の雰囲気の変化に、コナンも自然と背を正す。
「危なくなったら呼んで」
「・・・・快斗」
「新一を信じてないわけじゃないよ。・・・・でもさ。心配、なんだ」
たくさんのハンデをものともせずに、不敵に笑いながら危険に突っ込んでいってしまう君が。
無茶をしないか、怪我をしないか、快斗はいつも心配している。
「バーロ・・・・」
ゆらゆらと揺れる碧い眼を見上げ、コナンは微笑した。
自分だって無茶ばかりするくせに、彼はいつも新一の心配をする。本当は彼の方が助けを必要とする場面でも、快斗は躊躇なく新一に手を伸ばす。
だから、新一は言うのだ。
「その言葉、そっくりお前に返すぜ」
「新一・・・・」
「――――だから、お前が『その時』に呼ぶなら、俺も呼んでやるよ」
自らの危機に、この名を呼ぶなら。
たとえ何かを投げ出すことになっても、絶対にこの腕を伸ばすから。
「俺たちは『共犯者』だろ?」
それも絶対無敵の、な。
にっと口角を上げて見せた無敵の名探偵に、快斗はどこか泣きそうな、それでいてひどく嬉しそうな笑みを見せた。
「さすがは俺の名探偵――――」
自分だってたくさんのハンデを抱えて、いくつもの偽りを抱えて苦しんでいるくせに、極自然に、当たり前のように自分を導いてくれる人。この人がいるから、KIDは決して『道』を間違わない。
「惚れ直しちゃった」
「・・・・前もそんなこと言ってなかったか?」
テーブル越しに頬に伸ばされてくる手を避けるでもなく、どこか意地の悪い表情を見せるコナンに、確保不能の大怪盗はくすくすと楽しげな笑みを返した。
「あなたの尽きせぬ魅力に、私は毎日魅了されつづけていますよ」
「探偵に呪縛されちまうなんて、ざまあねぇな。神出鬼没で確保不能なのが身上な怪盗さん?」
頬に触れてくる手に小さなそれを重ね、コナンはくすぐったそうに目を細める。
「あなたに呪縛されるなら本望ですよ。・・・・その代わり、『あなた』を頂きますけれど」
私は『怪盗』ですからね? 欲しいものは必ずこの手にして見せましょう。
飄々と言ってのけた怪盗の腕の中には、いつの間にか浚われていた小さな探偵。・・・・彼が席を立った気配はないというのに、鮮やかすぎる手並みで怪盗の獲物になっていた子供は、にやりと煽るように笑った。
「俺はそう簡単に捕まらないぜ?」
がんばれよ、世紀の大怪盗。
「もちろんです」
もてるすべてを差し出して、あなたを捕らえて見せましょう?
冷涼な気配を纏って宣言した怪盗が、くいっと子供の顎を持ち上げる。抗う様子も見せず、それでもくすくすと笑いながらコナンは憎まれ口を叩いた。
「児童に対する猥褻行為。罪状1個増えたな」
「・・・・そういうこと言うと、本格的に襲っちゃうよ?」
ダイニングテーブルに軽くコナンの身体を押し付け、快斗はくすりと物騒な笑みを見せる。それに負けず劣らず好戦的な表情を浮かべ、コナンは詠うように囁いた。
「できるものなら・・・・?」
「やってみせましょう?」
お互いの稀有な輝きを宿す眼が、どちらからともなく瞼の下へ――――

がちゃ

「「あ」」
「あら・・・・? お邪魔だったかしら」


――――なんとも微妙な体勢で硬直する二人の視線の先、お気に入りのケーキ屋の箱を片手に、不敵な(そして楽しそうな)笑みを浮かべた最強の姫君が、未だに食事のいい匂いが漂うダイニングルームに降臨していた。