某倫敦帰りの人の受難と、某西の人の悪化している扱いを御覧になりたくない方は回れ右願います。








警視庁への来訪者



Joker's children
第四話




「えっと、捜査一課の高木刑事か佐藤刑事、いますか?」
警視庁の一階に、子供らしい高い声が響く。
精一杯背伸びして受付のお姉さんに視線を向けたコナンに、お姉さんは訝しげな表情をした。
それも当然だろう。
なにしろ、今日は平日で、子供たちは学校にいなければいけない時間だ。
「あのね、ボク・・・・」
お姉さんの言動と表情から不審感を敏感に感じ取ったコナンは、にっこりと(母親直伝の)満面の笑みを披露する。
「僕、この前の事件のことで証言に来たんだ! だから、高木刑事か佐藤刑事にこう伝えてくれない? 『スナッフビデオの事件について話がある』って」
事件の証言者、ということで、家出した子供かというお姉さんの疑問も晴れたのだろう。コナンの華のような笑みにノックアウトされながら、それでも仕事に忠実なお姉さんは内線電話を手に取った。
「ボク、お名前は?」
「コナン。江戸川コナンだよ」
(ようやく話が通ったので)とても嬉しそうに笑ったコナンの可愛らしさにお姉さんが完全に撃沈していたのは、お姉さん本人とコナンの後ろでちょっと遠い目をしながら事態を見守っていた哀だけの秘密だ。
「・・・・無意識って恐ろしいわね」

――――今日もコナンの『殺し』は絶好調だ。


空が青いなあ、と快斗は意味もなく思った。
授業中だというのに堂々と机に抱きついている彼の耳には、イヤホンが差し込まれている。
『えっと、捜査一課の高木刑事か佐藤刑事、いますか?』
イヤホンから聞こえるコナンの声に、猫被りまくってるねぇと内心だけで密やかに笑った。
――――彼は別に、コナンに盗聴器をつけているわけではない。コナンがいつも持ち歩いているぬいぐるみKIDに盗聴器が仕込まれているのだ。
ぬいぐるみKIDに搭載された機能の一つだが、コナンも知りながら放置しているし、快斗も一応分は弁えて盗聴しているので、盗聴器がぬいぐるみから取り外されることはないだろう。
『・・・・無意識って恐ろしいわね』
ぬいぐるみKIDが拾ったらしい哀の声に、知らず乾いた笑みがもれる。
(コナンってば、そんなにたらしまくってどうするの〜!?)
たらすのは俺だけにしてーっ、とかなり阿呆なことを考えていた快斗は、それでもスラックスのポケットに突っ込んだ機械を弄る。
無自覚絶好調な名探偵のことはかなり心配だが、そっちに神経を配っていたせいで『仕事』に失敗したりしたら、無敵の姫君の怒りが怖い。
それに、『ゲーム』はまだまだ始まったばかり。呑気に捕まったり殺されたりしている暇はない。
微かな雑音と共に、快斗にとっては聞き慣れた怒声がイヤホンから響く。
『いいか、今日こそは絶対にKIDを捕まえるんだ――――っっ!!』
『おお――――!!』
(気合入ってるね〜)
まあ、そのくらいのほうがKIDにとっては好都合。
(せいぜい、私の創りだす舞台の上で気持ち良く踊っていただきましょう?)
机の上に立てた教科書に隠されたKIDの口元が、うっすらと持ち上がった。

――――警察泣かせの大怪盗の予告まで、後約十三時間。


「あ、高木刑事!」
人の良さそうな顔をした刑事の登場に、コナンは嬉しそうに声を弾ませた。
内線電話を繋いでくれたお姉さんの言う通りエレベーターホールの前で待っていた二人の子供の姿に、半信半疑で歩いてきた高木は唖然とする。
「コ、コナン君?」
なんでここに?
呆然と呟かれた彼の言葉に、コナンは軽く肩をすくめる。
「受付のお姉さんの伝言、聞いてくれたんでしょう?」
少年の言葉にはっとした高木の鋭くなった視線を平然と受け止めて、コナンはにっこりと笑って見せた。
不敵に、そしてあでやかに。『子供』の仮面を脱ぎ捨てて、知らず息を呑む男を見上げる。
「『スナッフビデオの事件について話がある』ってさ」
ひそめられた囁きは、物騒な言葉に反してひどく楽しげだ。
「・・・・コナン君、その話どこで知ったんだい?」
コナンの大人びた笑みに一瞬我を忘れかけた高木は、それでも職務を放棄することなく背をかがめ、コナンに小さな声で問う。
彼らの周囲を偶然歩いていたためにコナンの笑みを目撃した人たちは、未だに呆然と立ち尽くしているというのに。
(見かけより立ち直りが早いのね)
しゃがんだ高木とコナンの会話を数歩後ろで静かに見守りながら、哀は高木に対してかなり失礼なことを思う。
まあ、口に出さないだけましか。
哀の視線の先でこそこそと内緒話を終了した高木は、慌ただしく走り去っていく。それを呑気に見送るコナンに、少女は静かに近づいた。
「なんて言ったの? 彼に」
「ん? ああ」
振り返ったコナンの楽しげな笑みに、彼の目論見は順調に進行中なのだと嫌でもわかる。
「上手く行けば、小田切刑事部長に会えるかも知れねえぜ?」
「・・・・そう」
『上手く行けば』ではなく、『上手く行かせるから』の間違いではないのか。
そう思いつつも、哀はふと騒がしくなった正面玄関に視線を送った。
「――――来たわね」
「?」
唇をゆるりと持ち上げた哀は、スカートのポケットから小さな両手に乗るサイズの熊のぬいぐるみを取り出した。
真っ白なシルクのドレスを纏ったそのぬいぐるみは、ぬいぐるみKID同様快斗のお手製だったりする。
つまり、ぬいぐるみKIDと同じように様々な機能が搭載されているわけで・・・・。
「灰原?」
不思議そうに首を傾げるコナンに、哀がなにか答えるより早く。
「コナン君!? コナン君ではありませんか?」
ホールからはかなり離れた正面玄関のあたりでなにやらやっていたはずの少年が、足早に歩いて来る。
「へ?」
「・・・・ちっ」
あまり聞き覚えのない声に目を見開いたコナンは、横から聞こえてきた舌打ちにひくりと硬直した。
怖くて首を動かせない。
「・・・・灰原、サン?」
おそるおそるかけられたコナンの声に、哀は満面の笑みを向ける。
それはもう、コナンですら目線を逸らしてしまうくらい艶やかでデンジャラスな笑みだった。
「なにも聞かなかったわよね? 江戸川君」
「・・・・おう」
(その笑顔が怖い・・・・)
悲しいかな、最強の姫君には逆らえない。というか、逆らってはいけない。先日も、ついうっかり逆らったばかりに、阿鼻叫喚の生き地獄を味わい、泣きながら大阪に逃げ帰った某探偵を偶然見てしまっただけに、コナンの恐怖はかなり根強かった。
どこか遠い目をするコナンに猛然と近寄ってきたのは、快斗いわく『白馬鹿』。
倫敦ではそれなりに名の売れた探偵、白馬探だった。
「コナン君ですよね? お久しぶりです。僕のこと覚えていますか?」
ホールからかなり距離が離れている場所からコナンの姿を発見したらしい白馬は、哀に気づかずに膝を折る。
・・・・最強の姫君が彼の後ろで妖しげな笑みを浮かべたことを、幸か不幸か彼は知らない。
「え、えと・・・・こんにちは、白馬のお兄さん」
(忘れられるわけねぇだろ、あんなにしつこかったんだから!)
強張る顔を動かし、なんとかコナンは笑みを作る。
――――「黄昏の館」での事件の後無事に東都に帰ってきてから、なにを思ったのか白馬はそれはもううんざりするぐらいコナンに付き纏っていた。
「どうしてKIDが毛利小五郎に変装していたのに気づいたのか」という尋問に始まって、「何故千間探偵が犯人だと気づいたのか」、「その時計はなんだ」と白馬の問いは延々と続き、いい加減うんざりしたコナンが「探偵ならそのくらい自分で推理しろ!」とぶちギレる前に、彼は「よければこれから食事でも」と言ってのけた。
・・・・白馬探、(外見年齢)七歳の子供に一瞬で陥落したらしい。
コナンが彼の言葉の意味を認識するより早く、悪気のない蘭の呼びかけによって白馬との(ある意味一方的な)会話は終了したのだが。
その話をぬいぐるみKIDに搭載されている記憶装置によって知った快斗の手腕のせいで、白馬が急に倫敦に戻らなければならなくなったのは、名探偵の守護者を自認する大怪盗と科学者の秘密だ。
「今日は平日ですよ? どうしてこちらに?」
「あ、あの、僕たちこの前の事件の事情聴取に・・・・。白馬のお兄さんこそどうして?」
心なしか一歩後退しつつ問いに答えたコナンは、そこまで言ってからはたと昨夜の会話を思い出した。

『それでさあ・・・・明日帰ってくるらしいんだよね』
『へえ・・・・帰ってくるの『あれ』』

(『あれ』ってこの人のことか――――っ!)
人権無視した代名詞を使っちゃ駄目だろ、などと考える名探偵はかなり混乱している。
延々と何かを語りつづける白馬から眼の焦点をはずして黙りこくるコナンに、哀は何気ない口調で言った。
「高木刑事が来たみたいよ、江戸川君」
「え?」
哀の誘導に、コナンが素直に後ろを振り返ったその刹那――――

運悪く、コナンに歩み寄ろうとしていた高木刑事は確かに見た。

自分を見上げてくる蒼い眼をした少年の後ろで、こちらを見ながらどこか不機嫌な顔をしている怪盗KID専任の探偵。そして、その更に背後に立った少女の口元がゆるやかに持ち上がるのを。
少女の小さな手に乗せられた熊のぬいぐるみが白馬の背中に向けられ、彼女の指が熊の左耳を押し込んだ。

カチッ パシュッ

「・・・・!」
声もなく目を見開く高木の前で、ぐらりと揺らぐ白馬の身体。
「わ!?」
異変に気づいて振り返ったコナンが、覆い被さるように倒れてくる身体からとっさに回避する。
俊敏な動作を誉められる者はいても、彼の行動を責められる者はいまい。下手をすれば倒れてくる身体に押し潰されて、子供の方が怪我をしてしまう。
誰にも受け止められることなくべちゃりと床に潰れた白馬は、ぶつかった際の衝撃を気にした様子もなく健やかな寝息を立てていた。
「・・・・白馬のお兄さん? こんなとこで寝たら風邪引くよ」
コナンは、床に潰れたまま起きない白馬の肩を軽く揺さぶってみる。・・・・反応なし。
それも当然だろう、と未だに呆然と立ち尽くしたままの高木は思う。
――――彼は見たのだ。
哀の指が熊の左耳を押した瞬間、ぱかりとぬいぐるみの口が開き、そこから極細の『なにか』が白馬の首筋に突き刺さったのを。
その『なにか』が首筋に突き刺さった次の瞬間に、白馬はべちゃりと床に転がったのだ。
――――コナンが見ていれば、その『なにか』の正体がいつも自分が使う麻酔針であると看破できただろう。・・・・見ていれば、だ。
彼は哀の誘導で視線を逸らされ、偶然現場を目撃した高木は――――
「なにも見てなかったわよね、高木刑事・・・・?」
「は、はいぃぃぃ!」
・・・・どことなく満足げな表情をしたぬいぐるみを抱きしめた少女に、愛らしい笑顔で脅迫されていた。
「・・・・灰原〜、どうしよ。こいつ起きねぇよ」
高木の窮地にも気づかず(というより無意識に危険を察知して脅迫現場を意識から除外し)、白馬の頬を軽く叩いていたコナンは、医学にも心得がある哀に助けを求めた。
冷や汗をだらだら流している高木の姿に満足した哀は、表情を元に戻して振り返る。
「大丈夫よ、江戸川君。どうせ時差ボケから来る睡眠不足のせいだから」
「・・・・? 睡眠不足だからってこんなところで寝るか?」
なにしろここは天下の警視庁の人通りの多い廊下だ。あの常識外れの怪盗だってこんなところでは引っくり返らないだろう。
――――怪我でもしているならともかく。
「だって寝てるじゃない」
ほら現物が目の前に、と示され、小首を傾げながらもコナンは哀の言葉に頷くことにした。
(なんか灰原の眼怖ぇし)
・・・・名探偵は無言の脅迫に屈したらしい。
「それにしても、この人どうすっか」
放っておくわけにもいかないが、自分はこれから小田切警視長に会わなければいけない。忙しいだろう彼を待たせるわけにもいかないし・・・・。
「心配しないで。彼は私が『なんとか』してあげる」
白馬の前にしゃがみこんで眉をひそめるコナンに、哀はにこりと笑った。
どこか満足げな表情のままのぬいぐるみを抱えた少女の微笑みは非常に可愛らしいが、中身は全然可愛らしくない。
「え? でも・・・・」
「構わないわ。元々そのつもりだったし」
「は? 元々?」
それは白馬がこうなるとわかっていたから来たという意味か、それとも他になにか、と無意識のうちに思考の海に沈んでいたコナンに、哀は呆れたように声をかける。
「今はそんなことを考えてる場合じゃないでしょう。偉い人を待たせてるんじゃないの?」
「! やべっ、忘れてた。じゃあ、灰原。悪いけど後頼むな」
「ええ。行ってらっしゃい」
未だに硬直が解けないせいでどこか動きがぎこちない高木と、身体が小さいせいで歩幅も小さいコナンが早足で去って行くのを、哀はどこか楽しげな笑みを浮かべて見送る。
「さて・・・・」
もうしばらくすれば、哀に言われてスタンバイしていた阿笠が彼を拾いに来てくれるだろう。なので、哀は善良な警察官の皆様の邪魔にならないように壁際に立った。
・・・・床に転がったままの白馬が、忙しい方々の通行の妨げになっているのは全然気にしていないあたりがさすがだ。
自分に襲い掛からんとしている禍にも気づかずすやすやと寝息を立てる少年に、哀のグレーの眼が細くなる。
「楽しみね」
せいぜい気持ち良く泣いてもらいたいものだわ。
抱えているぬいぐるみで隠された哀の顔に、あでやかなで物騒な笑みが浮かぶ。

――――警視庁の一角に、(今なら熊のぬいぐるみつきの)恐怖の女神が降臨していた。


高木に先導されて廊下を歩きながら、コナンは無意識にズボンのポケットに手を突っ込んだ。
指に触れるのは、ぬいぐるみKIDのシルクの心地良い感触。
その感触に昂ぶりかけた心を鎮めながら、コナンはまっすぐに前だけを見つめる。
ここからは失敗は許されないし、するつもりもない。
失敗は自分だけでなく、共犯者たちの危険にも繋がってしまうから。
だからと言って、失敗の恐怖に身を竦ませたりもしない。自分から踏み出さなければ、どんな事態も結局は動かないから。
廊下の奥まった部屋の前で立ち止まった高木は、扉をノックする。
「高木です」
「入れ」
届いた返事に、高木は思わず後ろを振り返った。
「コナン君・・・・」
「――――大丈夫だよ、高木刑事」
だから開けて?
にっこりと愛らしい笑顔で言われた高木は、それでもどこか不安そうな顔をしたまま扉に向き直る。

高木が背を向けたのを確認したコナンは、物騒な笑みを浮かべた。
ぺろりと唇を舐める。
(さあ、どう料理しようか?)
彼を『ゲーム』に加えられるかは、自分の腕の見せ所。
高木に促されて室内に足を踏み入れた子供は、蒼い目に不敵な輝きを宿し、強い意思をこめて見下ろしてくる視線に怯えた様子もなく、くいっと唇を持ち上げた。

「おはようございます。――――小田切警視長」


さあ、ゲームの始まりだ――――!!