トラブルキッド

 

「ったく・・・くだらねえ事故のおかげで遅くなっちまったぜ」

 小五郎はぶつぶつ文句をいいながらアクセルを踏んだ。

 横浜の高級ホテルのディナー券を手に入れた小五郎は、喜んで娘の蘭と居候のコナンを連れていったのだが、帰りに飲酒運転による事故に遭遇し渋滞に巻き込まれてしまったのだ。

 2時間以上、まったく動かないという状況だったのだからグチりたくなるのも当然なのだが。

「お父さんも気をつけてよ。車で来たから飲んじゃ駄目って言ったのに、ちょっとくらいならいいだろうって飲むんだから」

 助手席の蘭が父親を睨んでそう注意した。

「ハン!ワインをちょこっと飲んだだけじゃねえか。あんなもんで酔ったりはしねえよ」

 俺の肝臓は並みじゃないのだ、と小五郎はガハハハと大口を開けて笑う。

 もう・・と蘭は呆れて溜息をつくと後部座席を振り返った。

 そこにはコナンが座ったまま軽い寝息をたてていた。

「コナンくん、寝ちゃったね」

「そりゃ、もう12時回ってっからな。おめえ、いつもこいつを9時に寝かしつけちまうだろ。眠くなるのは当然だぜ」

「だって、子供に夜更かしはよくないっていうもの。コナンくん、まだ7才だし」

「くそ生意気な7才だよな。俺の時代の方がまだ可愛げがあったぜ」

「もう、お父さんったら!」

 蘭は着ていたカーディガンを脱ぐと眠っているコナンの身体にかけようと手を伸ばした。

 たまに大人びた瞳や、変に冷めた所を見せるコナンだが、こうして眠っている顔をみると、まだまだあどけなくてホッとする。

 そういえば、少年探偵団をやっている友達と一緒にいる時のコナンくんは、やっぱり7才の子供だなあとか思ってしまう。

 本当は事件になんかかかわらず、普通の子供のようにゲームをしたり遊んだりして欲しい。

(新一も探偵じゃなくサッカーを選んでいたら・・・・)

 今、こうして新一の帰りを待っていなくても良かったかもしれない。

 ・・・バカね。もし・・なんてこと考えても仕方ないのに。

 蘭がそう苦笑いをもらしたその時、いきなり車が急ブレーキをかけた。

キャッ!

 蘭は思わず座席の背にしがみついた。

 だが、眠っていたコナンは前につんのめって思いっきり座席に額をぶつけることになった。

「大丈夫、コナンくん!」

 う・・ん、と衝撃でたたき起こされたコナンは、ぶつけた額をさすった。

「なんなの、蘭ねーちゃん?」

「や・・やっちまった??」

「・・・・・!」

「なに、お父さん?どうしたの?」

 コナンは小五郎の様子にすぐに状況を悟った。

「コナンくん!」

 蘭は突然外に飛び出したコナンにびっくりした。

 車の前に回ったコナンは、道に倒れている人間を見つける。

 小五郎と蘭も車から降りてきた。

 住宅街に入っていたので、この時間帯の車の通りは殆どない。

「まさか・・・お父さん・・!人をはねたの!」

 蘭の顔からみるみる血の気が引いていく。

 やはりお酒を飲ませるべきじゃなかったのだ。今更遅いが・・・

「違うよ。おじさんはひいてない」

 人をはねたような衝撃はなかった。

 車の前をみても、人がぶつかった後は見あたらない。

 つまり、いつ倒れたのか知らないが、車は彼をはねる手前で止まったのだ。

「なんだ?そんじゃ酔っぱらいかあ?」

 人騒がせな!

 突然、人影が目の前に飛び出てきた時は本当に引いてしまったかと思って心臓が止まりそうになったのだ。

「酔っぱらいでもないみたい」

 コナンの言葉に小五郎は、なんだ、いったい?と倒れている人間を覗き込んだ。

「なんだ、ガキじゃねえか」

 うつぶせになって倒れていたのは、黒のジャケットにジーパンという15〜6才の若い男だった。

「この人、頭に怪我をしてるよ」

「なに?」

 確かに額に血が滲んでいる。

 瘤ができているところをみると、倒れた拍子にぶつけたのか、それともその前にどこかでぶつけてここで意識をなくして倒れたのか。

 どっちにしても、このままにしておくわけにはいかなかった。

「しょーがねえ、とにかくウチに運ぶか」

 小五郎はそう言って気を失った少年を抱えあげた。

 コナンは、倒れた少年から少し離れた所にあったスポーツバックを見つけそれを掴んだ。

 多分彼の持ち物だろう。

 なんでこんなデカイカバン・・・まさか家出少年ってわけじゃねえだろうな。

 が、今時目立つカバンを持って家出するようなのはいねえか。

 何か身元がわかるようなもんが・・・とバッグを開けたコナンはゲッとなって瞳を瞠った。

「そのバッグ、あの人の?わたしが持とうか」

「あ、いいよ蘭ねーちゃん!重くないから、ボクが持ってく!」

 そう?と蘭は不思議そうに首を傾げた。

「行くぞ!早く乗れ!」

「はあい」

 蘭とコナンは急いで車に戻った。

 自分の身体ほどもあるバッグを抱えたコナンは、ちょっとばかし頭が混乱していた。

 おいおい・・・なんで、あんなもんが入ってんだよ?


 ベッドに寝かせ、額に濡れたタオルをのせた少年はまだ目が覚める様子はなかった。

「朝になっても意識が戻らねえようだったら病院に連れてくか」

「そうだね。でもこの人の家族心配してるんじゃないかな」

「こいつのものらしいバッグには身元がわかるようなもんはなかったしなあ。ま、それも朝になってから考えるか」

 とにかく疲れた、と小五郎は欠伸を漏らす。

「あ、お父さんお布団ここに敷こうか?」

「いや。俺は下の事務所で寝るぜ。おまえらも早く寝ろよ」

 小五郎はそう言って、毛布一枚抱えて下へおりていった。

「ねえ、蘭ねーちゃん。ボクがここに寝てもいい?」

「え?コナンくんが?」

「うん。だって一人じゃ心配でしょ?蘭ねーちゃんがずっとここにいるわけにはいかないし」

「いいの?」

 うん、とコナンはうなずく。

「ボク、平気だから」

「わかった。じゃ、コナンくんのお布団持ってくるね」

 蘭は部屋を出ていく。

 一人になったコナンは、まだ眠ったままの少年の方に顔を向けた。

(いったい何もんだ、こいつ?)

 

 

 窓から差し込んだ光で目を覚ました少年は、しばらくぼんやりと天井を見つめていた。

 そして、自分がどこか知らない部屋のベッドにいることに気が付くと、慌てて身体を起こした。が・・・・

 「ツ・・・」

 少年はズキンと鈍い痛みが走った頭を押さえてうめいた。

「急に起きない方がいいよ。その傷、殴られたものでしょ?」

「え?」

 ふいにかけられた声に少年は瞳を瞬かせる。

 まだ幼い子供の声。

 見ると、ベッドの端に両手をかけた小さな男の子が少年を見つめていた。

 小学生低学年という、可愛らしい顔立ちの男の子。

 大きな黒縁の眼鏡の奥にある大きな瞳に見つめられ、少年はドキッとした。

「ボクはコナン。不安だろうから、まず状況を説明するね。ゆうべ、ボクたちの乗った車の前にお兄さんが突然現れてそのまま倒れちゃったんだ。運転していたおじさんは、お兄さんをひいちゃったかと思って青くなってたけど。その傷は倒れる前についた傷だよね?」

「・・・・・・・・・」

「どうしてついたか覚えてる?」

「ああ・・・まあ、だいたいね」

「そりゃ良かった。頭の怪我だから、記憶がとんでないか心配だったんだ。で、お兄さん、名前は?」

「・・・・・・・・・・」

「言えないの?じゃ、質問変えるけど、このバッグ、お兄さんのだよね?」

 コナンがベッドの下から出したスポーツバッグを見た少年の表情が変わる。

 少年はコナンの手から乱暴にバッグを掴みとった。

「おじさんが、身元のわかるものがないか調べてたけど・・・」

 えっ・・と少年が動揺して青くなるのを確かめたコナンは、ニッコリ笑う。

「安心していいよ。おじさんが確かめる前にちゃんと抜き取っておいたから」

 コナンはそう言うと、黒いビニール袋に移しかえていたものを少年に見せた。中に入っていたのは、白いシルクハットに青いシャツ、赤いネクタイ、そして真っ白なスーツだった。

「あとモノクルがあれば、完璧に怪盗キッドだねv」

「おまえ・・・・誰だ?」

「ボク?江戸川コナンだよ」

「・・・・・・・・・・」

「ボク、黙ってた方がいいよね」

 あ、ああ・・・と少年は答える。

「じゃ、名前教えて。交換条件。下の名前だけでもいいから」

 少年は眉をひそめた。

(こいつ・・・・・・)

「・・・・・拓海(たくみ)」

「拓海お兄さんだね。もう一つ言うとね、おじさん探偵なんだ」

「探偵・・!」

「そう。だから、バレないためにもボクの言う通りにしてね」

 拓海は瞳を瞬かせながらコナンと名乗る子供を見つめた。

「どうして、おまえ・・・」

「ボクさあ、怪盗キッドのファンなんだv」

 コナンはニッコリと無邪気に笑った。

「あら、気が付いたのね」

 ドアを開けて入ってきたのは蘭だった。

 突然現れた髪の長い綺麗な少女に、拓海はびっくりした顔になった。

「蘭ねーちゃん、このお兄さん、藤峰拓海って言うんだって」

 は?誰が藤峰だって??

「藤峰くんね。具合どう?」

「あ、平気です」

 そう、良かったと蘭は安堵したように柔らかく微笑んだ。

「すぐに朝ご飯用意するね。コナンくんは、藤峰くんについててね」

 うん、とコナンがうなずくと蘭はキッチンに戻っていった。

「おまえの姉ちゃんか?」

「ホントのじゃないけど。ボク、ここんちの居候だから」

「居候?」

「うん、そうvで、拓海お兄さんはこれからどうするの?良かったらボクが相談にのってあげようか」

 おまえがあ?と拓海は呆れたようにコナンを見つめた。

 いったい、この子供はなんなんだ?

「“藤峰”ってなんだよ?」

「まァまァ、気にしない気にしない。名前はちゃんと言った方がみんな安心するからさ。それでなくても、頭に怪我してるから蘭ねーちゃん、すごく心配してたからね」

「・・・・・・・・・・・」

 こいつ・・・・いったいどういうつもりなんだ?

 ふざけてるようには見えないが。

 子供の無邪気さを見せながら、自分に向ける突っ込みはどこか大人びている。ほんとは見かけ通りの年じゃないんじゃないかと思ってしまうような。

「ボクにまかせて。悪いようにはしないから」

「・・・・・・・・」

 おい・・・それって子供の言うセリフか?

 

 

 2時間後、拓海は彼を拾ってくれた毛利小五郎と娘の蘭に深々と頭を下げて出ていった。

 探偵だと聞いていたが、まさかあの有名な名探偵、毛利小五郎だったとは思わなかった。

(やっぱり、助けられたということになるのかな・・・)

 この子供に、と拓海は自分の横を歩く小学生を見下ろした。

 毛利探偵の所を出てすぐにどこからか合流してきた奇妙な子供。

「連絡ついたから大丈夫だよ」

 行こう、とコナンは拓海の手をとる。

「連絡って・・・いったい誰にだよ?」

「ボクの友達vやっぱり怪盗キッドのファンだから拓海お兄さんの役に立つよ」

 ちなみに、小学生じゃなく、高校生。

 ちょっと安心した?とコナンはニッコリ笑う。

 拓海は何も言え返せなかった。

 なんだか、この状況は“弱みを握られた自分が、無邪気な笑顔で小学生に脅されているような感じ”といえなくもないが。

(ハハ・・・まさかな・・・・・)

 コナンが拓海を連れてきたのは駅前にある24時間営業のファーストフードの店だった。

 朝メニューがあるせいか、朝の早い時間のわりに客の姿があった。

 コナンと拓海は揃って朝のセットを頼みトレイにのせると二階へ上がっていった。

 コナンは窓の反対側、奥の席に座っている少年の方へと歩いていく。

 少年はコナンの姿を認めると、ニッコリ微笑んだ。

「やあ、コナンくん。早朝にたたき起こしてくれてどうもねv」

「だって、快斗にーちゃん、いつも朝早いでしょ?」

「仕事から戻ったのが明け方だったんだよ」

「へえ、そうなんだ。昨日の仕事、そんなに大変だった?」

「それが、仕事に慣れてないド素人が来ててさあ」

 とんだ迷惑。

「ふうん?」

「・・・・・・・・・・・・」

 拓海は、対等に会話している小学生と高校生を見て驚いたように目を瞬かせた。

 それがあまり違和感を感じないのは、やはり大人びた口をきくコナンのせいか。そして、相手の高校生も慣れているのか全く気にしたところがない。

 コナンと拓海は快斗の向かいの椅子に腰をおろした。

「でさあ、そいつ誰?」

「拓海お兄さんだよ。怪盗キッドなんだ」

 ブッ!と快斗はストローを吹いた。

 そして、大きな瞳をパチパチと瞬きさせてコナンと拓海を交互に見つめた。

「なにそれ?新手の冗談か?」

 マジだよ、とコナンは快斗に微笑む。

 しばらく、じっを拓海を見つめていた快斗は、急に成る程とうなずいた。

「そうか、怪盗キッドかあ」

 快斗はそう言うと、椅子から腰を浮かしてガッと拓海の手を握り笑顔満面で大きく上下に振った。

「オレ、黒羽快斗!よろしく!いやあ、憧れの人にこうして会えるなんてオレってばラッキーv」

「その幸運は、ボクが運んできたんだからね、快斗にーちゃんv」

 やっかいごとの間違いなんじゃねえの?と快斗は思うが、そこはしっかり顔には出さず、

「そーだね、コナンくん。今度、御礼になんか奢ってあげよう」

「ボク、回転寿司がいいなあv」

 ガタッ!と快斗は青い顔で身を引き椅子を蹴飛ばした。

 魚嫌いの快斗は、切り身でも拒否反応を起こすという徹底振りで、そのことを知っていてのコナンの嫌がらせだ。

(オ・・オレ、なんかこいつの気に触るようなことしたっけ??)

 思い出そうとするが、最近では思いあたることはなく、だが、その前となると一杯あったりするので特定のしようがない。

 やっば〜こいつってば新ちゃんの時よりキツイんだぜ〜〜

 姿が子供という特殊性を大いに利用して、コナンは無茶苦茶拗ねてくれるのだ。

「おまえらさあ・・・」

 拓海は、訝しそうに奇妙な小学生と高校生を睨む。

「オレのことからかってないか?」

 なんで?と二人の声が見事にハモる。

 拓海はさらに眉をしかめた。

「おまえら・・・オレが怪盗キッドだって信じてないだろ」

 信じてるぜ、と快斗はニコリと笑う。

 よく見ると、綺麗に整ったその顔はおよそ態度が小学生らしくないコナンという子供に似ているような気がした。

「・・・・・・おまえら、兄弟?」

 いや、赤の他人・・と快斗はクスッと笑った。

「まあ、ゆっくり話をしようよ、お兄さん」

 拓海は納得はいかないものの、とりあえずその場を立つことはやめにした。

 うさんくさいのは、きっと自分も同じだが、それ以上に怪しいのはこの二人なんじゃないかと拓海は思う。

 快斗は、コナンから昨夜の話を聞くとフ〜ンと納得したように鼻を鳴らした。

「あぁ、やっぱりそうか。おまえさあ、昨夜怪盗キッドが狙っていた米花博物館にいただろ?」

 え?と拓海はびっくりしたように快斗の顔を見つめた。

「オレの幼馴染みのオヤジさんが、昨夜の警備担当の警部なんだよなv」

 いや〜、昨夜は別の侵入者がいて、てんやわんやだったらしいって、そいつが電話してきてさ。

「・・・・・・・・・」

 ちなみにそいつ、アンチキッドvと快斗は拓海に向けて片目をつぶった。

「ついでに言うと、快斗にーちゃんの彼女なんだよね」

「え、あ・・まあ、そう・・・・・」

 快斗は冷ややかなコナンの瞳に違うとも言えず、自分の猫っ毛をくしゃくしゃとかき回した。

(ま、そうなんだけどさ・・・)

 だが、初対面の相手に認めるのは照れくさい快斗だ。

「じゃ、やっぱりわかってんだな・・・・・」

「そりゃね。怪盗キッドが初めて現れてからもう20年近くたつし」

 あんたはどう見たって、十代だろ?

 オレ・・・・と拓海はふっと瞳を伏せた。

 本当は自分一人がやるつもりだったのだが。

 しかし、ニュースでしか知らなかった怪盗キッドの、神業のような盗み振りを見て自分にはとても真似できないことを思い知った。

「オレ・・どうしても取り戻したい宝石があるんだ」


 拓海の手の中にあるカードが、まるで生き物のように舞った。

 なんにもない手の中にカードが次々と現れたかと思うと、綺麗な弧を描き、次の瞬間パッと消え失せる。

 そうやって、びっくりするようなカードマジックを披露する拓海にコナンと快斗は瞳を瞬かせた。

 場所はファーストフードの店から、カラオケボックスに移っていた。

 ちょっと深刻な話になりそうなので、人に聞かれない個室ということで場所移動したのだ。

 そこで、拓海は持っていたバッグの中からカードを出してマジックを見せてくれたわけだが。

 その腕前は単に手品が好きな素人の域を超えていた。

 明らかに本格的に手品を学んでいる。

「怪盗キッドも手品の名手だっていうし、なんとかなるかなって思ったんだけど」

 つくづく考えが甘かったと拓海はそう言って溜息を漏らす。

「・・・・・・・・・・・・」

 そりゃ、手品が出来るってだけじゃキッドに成りきるのは無理だろな。

 自分で言うのもなんだが、膨大な専門知識と特殊技能をそれこそ死ぬ気で習得しなくてはキッドにはなれない。

 こいつは天才だからな、とコナンも快斗を見て思う。

「おまえさ、それどこで習ったんだ?どう見てもプロの技だろ?」

「兄貴がプロの手品師なんだ」

 父親が違うけど・・・・

(ふうん、手品師ね)

 思い当たる人物が一人、二人・・・・ああ、そうか。

「んじゃ、おまえもマジシャン志望?」

「そうだけど・・・オレ、兄貴ほどの才能ないから」

「そんなことないよ。拓海お兄さん、すごくうまいじゃない。ボク、感動しちゃったよv」

 ほお〜、オレにはんなことひとっ言も言わねえくせに。

 快斗はちょっと面白くない。

 だがまあ、確かに腕は悪くないかな。

 あいつの顔を思い浮かべ、あの男の弟ならなと快斗は思う。

 何度か面識はあった。顔は似てないが、多分そうだろう。

 オレと同じくらいの弟がいるって言ってたし。

 天才ではないが才能はあるし、今、一番華のあるマジシャンだ。

「それで、取り戻したいって宝石ってなに?」

 コナンが単刀直入に問う。

「死んだオレの母さんが大事にしてたブローチなんだ。まわりを小さなダイヤに囲まれたブルーダイヤで」

「ブルーダイヤ?へえ〜」

「あ、そんな大きなものじゃないんだ。これくらいの熱帯魚の形のプラチナの台の真ん中にはめこんでるものだから」

 熱帯・・魚・・・・・・・

 拓海が広げた指で大きさを教えたが、快斗の方は魚という言葉に思わず顔がひきつってしまう。

 ま、生ものじゃないからいいけどね。

 と言いつつ、以前青子の魚模様のパンティに逃げ出した経験のある快斗だったりするが。

「パスって言わないよね、快斗にーちゃん?」

「え、いや、話は聞くよ。ちゃんとね」

 コナンにジロリと見られた快斗が苦笑する。

「父さんと母さんが車の事故で亡くなってから、兄貴と二人で遺品を整理してたら、山岸って男がやってきて借金の担保になってるからと母さんのブローチを持っていったんだ。よく聞いたら、父さんが友人の借金の保証人になっていて、家とブローチが担保になってたらしいんだ。オレも兄貴もそのことは全く知らなくて・・・・家は仕方ないとして、母さんの形見のブローチは渡したくなかったから返してもらうように頼んだんだけど、もう買い手があって契約済みだからと断られたんだ」

「ふうん・・・なんか手回しがよすぎだな。最初からそのブローチ狙われてたんじゃないの?」

「兄貴もそう言ってた。どっかの金持ちのお嬢さまかなんか知らないけど、母さんのブローチをどっかで見て欲しがったそうなんだ。それで、父さんの友人が借金を頼みにきた時にそういう条件を出したんじゃないかって」

 多分そうだろうな、とコナンと快斗の二人はうなずく。

「買い戻そうとしたんだけど、相手へのキャンセル料も加わるから2000万だって言われて」

「そいつは法外だよなあ。ブルーダイヤでもそんくらいだったら2000万もしないぜ?」

 明らかに買い戻せないように出した値段だ。

「父さんたちの生命保険でも足りないし、こうなったら自分で取り戻すしかないと思って」

「で・・怪盗キッドになってブローチを盗み出そうと?」

「悪いことだとはわかってるけど・・・買い戻そうと頑張ってる兄貴に迷惑かけたくなかったから」

 う〜ん、と快斗は唸る。

 本当ならそういうことに怪盗キッドを利用されては困るのだが。

 実際、キッドが活動を再開して以来偽キッドは横行している。

 だが、カッコだけ真似ても怪盗キッドにはなれないのだ。

 で、目にあまる輩は、片っ端からお仕置きし思い知らせることにしていた。

 けど、

「面白そうじゃんvオレ、手伝ってやるよ」

 えっ?と拓海がびっくりしたように瞳を見開いた。

 そして、ボクも〜vと彼の隣で可愛く手を上げられ拓海は今度こそ言葉を失った。

「そんじゃ、まずは怪盗キッドらしく予告状を書いて出そう!」

「簡単なやつね。解いてくれなきゃ困るから」とコナン。

「あんまり簡単だとキッドらしくないって思われちゃうぜ?」

「じゃ、飛び火しない程度にね(オレんとこまで)」

「オッケーオッケー。まかせとけってv」

 え?え?

 突然やる気満々に盛り上がり出した二人に拓海は戸惑った。

 そういうつもりで話したのではなかったのだが・・・・

「拓海兄ちゃん、モノクル持ってなかったね」

「オレ持ってるぜ。貸してやるよ」

 快斗の表情は実に楽しそうだった。

「あ、そういえば拓海お兄さん、その怪我誰にやられたの?」

 ああこれ?と拓海は額の絆創膏に手を当てる。

「博物館で見つかって逃げる時、ひったくりにあいかけてさ」

「あ、そうか。バッグ取られるわけにはいかないものね」

 コナンが言うと拓海は苦笑した。

 おそらく必死にとられまいと抵抗したため怪我をさせられたのだろう。


 拓海は無人のビルの一室で持っていた怪盗キッドの衣装に着替えた。

「スゴイスゴイvちゃんと怪盗キッドに見えるぜ。んじゃ、最後にモノクルね」

 快斗はキッドの格好をした拓海にモノクルをつけた。

「なんでこんなの持ってんだ?」

「なんでって、怪盗キッドのファンだって言ったろ」

 持ってて当たり前vと快斗は首をすくめて笑う。

「実はさ、どうせわかると思うけど、オレの親父マジシャンだったんだ。で、オレもいずれ後を継ぐために修行してる。だから、おまえの兄さんのことも知ってるってわけ」

「え?」

 快斗がコソッとある名前を告げると拓海の瞳がさらに大きく見開かれた。

「そういうわけだから、オレにもちょっとしたかかわりがあるんだし気にすることないからな」

「・・・・・・・・」

「んじゃ、計画通りにいこうぜ!」

 快斗はニッと笑って拓海の肩を叩いた。

 拓海を送り出した後、コナンが快斗の上着の裾をひっぱった。

「おい、あいつに何言ったんだ?」

「ああ、あいつの兄貴のことをちょっと・・ね」

「知ってんのかっ?」

「おまえも知ってる筈だぜ。セリザベス号でも会ったもんな」

 セリザベス号?

「それって、まさか・・・・」

「そっ。マジシャンの真田一三。青子と一緒にショーを見に行った時に知り合いになってさ。何度か食事を奢ってもらったりしたんだ。いい人だぜ」

 死んだ親父のことを超一流だと言ってくれたし。

 本当は黒羽盗一の弟子になりたかったのだと彼は言った。

「だからさ、おまえに言われるまでもなく手を貸そうと思ったわけ」

「オレは泥棒を奨励するわけじゃねえからな」

「わかってるって。その点は抜かりなくやるからさ」

「魚見て卒倒すんなよ」

「あ、ひど〜い」

 快斗はクスクス笑うと、スッと優雅に右手を伸ばした。

 白い闇がサッと広がったかと思うと、コナンの前に不敵な笑みを浮かべた怪盗キッドが立っていた。

 

「さあ!ショーの始まりだ!」

 

 

 

 

 今夜キッドからの予告を受けた警察は、いつもの通り中森警部の指示のもと万全の警備をしいていた。

 いや、しかしキッドが相手であれば、どこまでやれば万全であり安心できるかは判断しにくい。

 現に、これまで完璧とされてきた警備をことごとく破られまんまと盗まれているのだから。

(す・・すげえ警備・・・)

 拓海はこれから忍び込むビルを取り囲んでいる警察官の数にゴクリと唾を飲み込んだ。

 オフィス街の中にあるこの8階建てのビルは山岸の持ちビルだ。

 さすがに夜の12時を過ぎると、どこのビルも人の数が減ってくる。

 うまくいくかなあ・・・・

 快斗とコナンがたてた作戦は確かに成功の確率の高いものであったが、しかし警察の目をかいくぐって忍び込み盗むなど初めての彼にはかなり荷が重い。だが、やると決めたのは自分なのだからやるしかなかった。

 でなければ、協力してくれたあの二人に悪い。

(よし!)

 拓海は気合いを入れるために自分の顔を一度パンと手のひらで叩いた。

 

「これがそうなんですか?」

 8階の社長室で、社長の山岸に見せられた、今回キッドが狙っているという代物に中森は眉をひそめた。

 それは大人の人差し指ほどの大きさで、エンゼルフィッシュの形をしたブローチだった。

 こんなものを、あの怪盗キッドが狙ってるって?

「その真ん中にはめ込んである宝石はブルーダイヤですよ、警部さん」

「ほおう?」

 だが、これまでキッドが狙ってきた宝石に比べたらずっと小さくて可愛いもんだ。

 先週キッドが米花博物館から盗んだ宝石は、この10倍もの大きさのあるサファイアだった。

 青のポセイドンとかいうわけのわからん名前がついていたが。

「このブローチは、既に買い手もついているんですから、ちゃんと守って下さいよ」

「わかってます。警備は万全です。怪盗キッドは必ず捕まえますよ」

「私は、今夜このブローチを守ってくれれば文句は言いませんよ」

 山岸はブローチの入ったケースを金庫の中におさめた。

 

 中森警部は一端社長室を出て警備の状況を確認した。

 そして、予告時間になったその時、強烈な光が8階の廊下を走り抜けた。

なッ・・!

 中森たちはその光に一瞬視界を奪われる。

 間髪いれずに隣のビルの屋上に配置されていた警官から屋上にキッドが現れたという連絡が飛び込んできた。

「キッドだと!まさか・・!」

 社長室の前にいた中森はすぐさまドアを開けた。

 そうして目に入ったのは、彼の目の前で確かに社長の山岸が閉めたはずの金庫が僅かに開いている光景だった。

「いつのまに!」

 中森は社長室に飛び込んで金庫の中を確かめたが、山岸が入れたケースはなかった。

「おのれ、キッドめ!いったいどこから!」

「警部!山岸社長から宝石は無事かという電話が入っておりますが」

 なに〜?と中森はなんで電話なんだと顔をしかめたが、ふと何かに思い当たったのか警官から電話をひったくった。

「山岸社長!あんた、今どこにいるんだ?・・・え?車の中?こっちに向かってるって!」

 それじゃ、さっき社長室にいたのは・・・・

 キッド!?

 あの野郎〜〜!

「追え!キッドを追うんだあ〜!」

 ドダダダダと凄まじい音をたてながら中森警部は、部下の警官たちを連れて階段を駆けのぼっていった。

 シンと静まり返った8階にキッドの格好をした拓海が現れる。

 快斗に言われた通りダクトを伝って8階まで上がってきた拓海だった。

 思った以上に苦労したが、拓海は警官たちの姿が消えるとすぐに廊下に飛び降りて社長室に入った。

 警官たちの注意は引きつけておくからと快斗とコナンは言っていたが・・・

「いったい何をやったんだ?」

 作戦を聞いていない拓海にはさっぱりわからない。

 とにかく、目的のブローチをと社長室に入った拓海は、金庫が開いているのを見てまたびっくりする。

 閉め忘れたなんてことはあり得ない。

 だったら、ブローチは・・・・

 かがんで中を覗き込んだ拓海は、金庫の一番下の段の奥に見覚えのある青いケースを見つけた。

 蓋を開けると、中には間違いなく母の形見であるブローチが入っていた。

 あった・・・

 拓海はホッと息を吐いてその場に座りこむ。

 あっと、時間・・!

 ここから脱出する時間も彼等に言われている。

 その時間までは引きつけておくから、と。

 拓海はすぐにダクトに入り来た道を戻った。

(それにしても、こんなにうまくいくなんて・・・・)

 あいつら、いったい何者なんだ?

 

「キッド!」

 ビルの屋上に上がった中森警部は、いつもの白いコスチュームに身を包んだ怪盗キッドと対峙した。

「これは中森警部。今宵もお元気のご様子、真に喜ばしい限りですね」

「ふざけんな!いいか、そこを動くな!今俺が貴様をこの手でとっ捕まえてやる!」

 これはこれは、とキッドはクックと笑う。

「羽根を持った自由な鳥に動くなと言われるのですか?」

「ああ!貴様の羽根を引きちぎって鳥かごにぶち込んでやる!」

「それは自然ではありませんね。鳥は自由に飛んでこそ鳥」

 キッドはそう言うと、白いハンカチを出し中森に向けて投げた。

 それはゆっくりと彼の思わず出した手の上に落ちた。

 キッドがパチンと指を鳴らす。

 すると、白いハンカチは鳩に変わって空に飛び立ち、あとには青い宝石とブローチが中森の手に残った。

「これは・・・先週盗まれたビッグジュエルじゃないか!」

「確かにお返ししましたよ、中森警部」

「貴様・・・盗みにきたんじゃないのか!」

「おや?ちゃんと予告状に書いていたでしょう?“青い魚は青い海に。青い海には青い魚。それが自然であり、この世の理。青い魚はかの神の御手に戻すことこそ自然”と。ご存知でしょう?ポセイドンは海の神ですよ」

 中森警部はポカンと口を開けてキッドを見つめた。

「今回も無駄に税金を使ってしまいましたね、中森警部v」

だ!誰のせいだっ!

 ふっとキッドは口端を引き上げて笑う。

「ではまたお会いしましょう、警部」

 キッドはそう言うと、トンと屋上の端を蹴って離れ、その白い姿を夜の闇にとけ込ませた。

「キッド!」

 中森は慌ててキッドの姿を追うが、彼の目に映ったのはいつものように夜の街を飛ぶ白いハンググライダーだった。

「おのれ〜〜!」

 毎度毎度、警察をバカにしおってーっ!

 

「こっちだよ、拓海お兄さん!」

 ダクトを抜けてビルの裏手に出た拓海の手を、待っていたコナンが掴んで走り出した。

「黒羽は?」

「警備の警察を引きつけてる。今のうちだよ」

「大丈夫かな・・・」

 あれだけの数の警官だ。捕まらずに引きつけるにも限度があるだろう。

「心配ないって。快斗にーちゃんは要領がいいからさ。それより、ちゃんと取り戻したんでしょ?」

「あ、ああ・・・」

「良かったね。でも当分、それは人前には出せないよ」

「わかってる。これは母さんの形見だ。持ってるだけでいい。兄貴にも言わないよ」

「うん。その方がいいね。でも、そのうちお兄さんに話せる時がくるよ」

 コナンがそう言うと、拓海はコクンと子供のようにうなずいた。


 キッドが、拓海の持っていったブローチの替わりをビッグジュエルと一緒に返したことは記事になることもなく終わり、何事もなかったように日が過ぎていった。

 夜店で買ったブローチに手をくわえただけだとか言ってたけど、よくバレねえよな、とコナンはちょっと呆れる。

 もしかして、山岸って奴は宝石に疎いのか?

 そういや、買い手がいるとか言ってたっけ。

 それにしても、よく触れたよなとコナンは苦笑する。

 あの魚嫌いの快斗が、魚のブローチを・・と。

 泣きそうな顔でブローチに手を加える快斗を思い浮かべてコナンはちょっと笑いそうになる。

 でも、ま、生もんじゃねーもんな。

「ねえねえ、蘭!見て!」

 静かな日曜の朝に、けたたましい女が事務所のドアを開けた。

「どうしたの、園子?約束は11時でしょ?」

「そんなの待ってられなかったのよ!蘭にコレ見せたくってさ」

「なに?」

 コレ!と園子はピンクのワンピースの胸元に光るブローチを蘭に見せる。

「えっ?これって、前に園子が言ってたやつ?」

「そう!やっと手に入ったのvたまたま雑誌に写ってた人がしていたブローチが気に入っちゃってさ。おんなじもんがないかって探してもらったのよ」

 そうしたら昨日手に入ったと連絡があって、わざわざ持ってきてくれたのだと園子は嬉しそうに語る。

「どう?可愛いでしょ!」

「ホント可愛い。魚の形をしてるのね」

 魚?

 コナンはアレ?と思って園子が自慢するブローチに目を向けた。

 エンゼルフィッシュの形をして、お腹の部分には青い石がはまっている。

 見覚えのありすぎるソレ・・・

「・・・・・・・・・・・」

 

(ブローチを欲しがってた金持ちのお嬢さまって・・・・オメーのことかよ)

 ハハ・・とコナンは乾いた笑いを浮かべた。

 

                              END