tradition          
                    BY 流多和ラト


<後編>

 たっぷりと十数秒たって再び再起動した脳は実際には初めに男の台詞を聞いた時からの
違和感を健気にも検証する。
カードに書いてあったメッセージは
 <白き衣の怪盗様 聖なる木の元にて貴方の持つ 永遠 を頂きに参上します>
であった。
似ているが少し…いや、だいぶ違う。
快斗は白馬が完全に意識を何処か遠くへやっている事を確かめると手の中から二つ折りに
した例のカードを広げて見せた。
 「これ、おメーのじゃねえのか?」
 「…え?…あれ?!違いますよ!似てますけど僕が自分で書いたのですから誰かが書き
間違う筈もないですし。さては店員が他の誰かのとケーキを間違えて渡しやがった
な?!」
 男は一転して最後に口汚く罵ると顔を怒りのそれに変えた。
だが快斗は完全にあらゆる事が杞憂であった事に若干の安堵を覚えていた。
若干というのは反面別の意味で危険を感じ始めているからだ。
もうここに用はないだろう。
いや、用でもなければこんな所でこんな男の相手をしてやる事自体御免だ。
目を反らし、じゃあと片手を上げ踵を返そうとした時、がっちりとその手を掴まれた。
握られたと言った方が正しいか。
快斗程の男がそれを回避出来なかったのは一重に相手が気持ち悪かったからに他ならな
い。
逆に悪意の欠片でも持っていてくれれば幾らでも冷静に対処する自信はあるが、こんな純
粋な好意を持った変態を相手にするのは何しろ初めてである。
しかも何度もしつこいようだが気持ちが悪い。
もう邪魔だとばかりにサングラスを外し、熱の篭った眼で間近に迫った男に見詰められれ
ば背中に走った寒気に鳥肌が立つ。
思わず息を飲んで反射的に目を合わせてしまうと相手はますます熱っぽく潤ませた目を更
に近付けてきた。
高く昇り詰めた体温から逃げるように後退すれば街路樹に退路を断たれ背中に木の感触を
感じる。
完全に快斗は追い込まれていた。
今、この男はこれまで警察ですら断念した快挙を知らず成し遂げようとしていた。
 「黒羽さん…、僕の魔術師。このケーキの中身は間違っていましたがここまで丁寧に
持って会いに来て下さったという事は……OKと受け取ってよろしいんですね…?あの伝
説の聖なる木の元でないのは残念ですが、僕等にはそんなジンクスなど必要もない絆があ
るんですよ!」
 また更に…今度は鼻が触れあう程に近くに迫った顔に快斗の頭の中はこれまでに経験し
た事もない最大級の警報が鳴り響いていたが、半ば放心した状態ではそれも意味がない。
通行人達はある意味激しく盛り上がったシーンに知らず固唾を飲んで遠巻きに見守ってい
たがその作り上げた空気を一気に台なしにしたのもまたその男であった。
 「ヘ〜〜クショイッッッッ!!
 盛大なくしゃみが響き渡った。
男は快斗から手を離すと半ば屈みこむように鼻をティッシュで抑えた。
今度はまた盛大に鼻をかむ音。
 「…おメーもしかしてすんげえ花粉症?」
 快斗はゆっくりと焦点を結び始めた視界にそんな呟きを漏らした。
 「はい、…もう夏だというのに別のアレルギーもあるのか長引いてまして、外出する時
はサングラスもマスクも欠かせません」
 ではあの怪しい格好も潤んだ目も半分はそれのせいか。
快斗は男のだ液に塗れた顔を次第に怒りの形相に変えていくと、怪盗の習性で無意識の間
にも決して手放さなかったケーキの箱を手の中に構えた。
 「ではお互いの愛を確かめあったところでそのケーキ、今から一緒に食べましょう!」
 快斗はそこでニッコリと笑った。
すでに怒りを通り越してしまったらしい。
男の顔が歓喜に彩られる。
快斗は笑顔のままゆっくりと動作に入る。
 「だ・れ・が・……喰うか〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!
 思いきりケーキの入った箱を投げ付けた。
正確にはその男に投げ付けようとしたのだがケーキに罪はなく、気味の悪い生き物にぶつ
けるのは忍びなかったのかも知れない。
無意識のうちに大きく軌道を外したその箱は男の横を通り過ぎ遥か遠くへと飛んでいっ
た。
 「あ〜?!なんて事するんですか!僕等の愛の結晶を」
 それを思わず見送っていた男は慌てて快斗に駆け寄った。
今の快斗はもう正気である、男を投げ飛ばそうと内心で構えていた。
しかしその男が快斗の元へ辿り着く事はなかった。
 「遅くなってすみませんでした」
 鮮やかに地面に男を叩き伏せたのは白馬であった。
彼もまたあの盛大なくしゃみによって復活したのである。
強かに背中を打ち付けた男は白目を剥いていた。
案外白馬も容赦ない。
 「それにしても、どうやらお互い勘違いだったようですね」
 「……お互いっておメーが勝手に勘違いしてただけだろが」
 半眼になって言えば白馬は「そうですか?」と曖昧な微笑を浮かべた。
快斗は近くの噴水に頭から突っ込むように顔を洗った。
衛生に関して、あの男のだ液よりは遥かにましだと思った結果だ。
顔をあげれば白馬から当然のように差し出されたハンカチをまた当然のように断る。
折り目正しく畳まれたブランドもののそれは彼の性格を表しているかのようだった。
この暑さならば放っておいてもすぐに乾く。
すでに暗黙の了解で今だ地面に横たわっている男の事はなかった事となっていた。
夜の仕事よりも遥かに疲れた快斗は家へ帰るべく歩き出した。
その背中に声が掛かる。
 「黒羽君…ひとつ、いいですか?」
 「あ〜?」
 快斗は緩慢な動作で振り返り、その真剣な眼差しに目を細めた。
 「…あなたにどんな理由があったとしても……僕は…」
 白馬が小さく拳を握った。
 「僕は食べ物を粗末にするのはいけない事だと思います」
 彼はこの上なく真面目な顔をしていた。
 「……なあ白馬、…頼むからこれ以上俺を疲れさせるな」
 快斗は何処かズレているクラスメイトを見遣って本気のため息をついた。

 見つけなければ……。
どうしてなんだ、こんな大切な日に……。
もう何時間彷徨ったか分からない。
足は重く、だがそれ以上に大きな落胆に目の前が暗くなる。
神などどこにもいないのだ。
これ程祈ってみても状況は悪くなるばかり、もうどうにもならない。
第一、もうあの人も待ってはいまい……。
決めた。
今日から神を呪おう。
ない存在を呪う事などできるのか分からないがやってやれない事はない筈だ。
例えば教会や神社を見たら遠くから石を投げてみるだとか、寄付のお金をこれから半額以
下にしてやるだとか、初詣での賽銭をお札でなく銀行で一円玉に両替えしておいて社務所
の人間を困らせてやるのも悪くはない。
 「よし!」
 声に出して復讐(?)を誓った時だった。
いきなり凄い勢いで飛来してきた物体がまるで神の罰のごとく男の頭に命中したのは。
くしゃくしゃになった生クリームとスポンジがシャンプーのように髪に纏わりつく。
突然の出来事に何が起きたか分からなかった男はしかしその慣れた匂いと何より目の前に
舞い落ちてきた二つ折りのカードに奇跡を見た。
自分の文字。
 「こ、これは…??!!」
 慌てて頭の物体に手を伸ばせばクリームの中からビニールの小さな袋が出現する。
 「か……神よ〜〜〜〜〜!!なんて事だ?!私が愚かでした!!確かに神はこの世にい
たのですね〜〜〜!!私が浅はかでした!ありがとうございます!!ありがとうございま
す!!!」
 地面に這いつくばり誰に向けたかも知れない土下座を繰り返す男を皆はマニュアル通り
に無視した。
 やがてその白尽くめの男は立ち上げると頭にケーキを乗せたまま猛烈な勢いで走り出し
た。
ケーキの飛んで来た方向に向かって。
暫くするとそれらしき人物を見つけた。
柔らかな癖毛の男子高校生。
何故分かったかと言えば彼から微かにケーキの残り香がしたからだ。
それが分かる程にケーキとは彼にとっての日常なのである。
 「そこの君!!」
 叫ぶように声をかければその少年は目を丸くして立ち止まった。
それはそうだろう、頭からケーキを被った男が必死の形相で走ってくれば…。
 「今ケーキを投げたのは君だね?!」
 「…えっと……」
 少年…快斗は思わず目を泳がせた。
何と言うか、答え難い雰囲気だったのだ。
 「すみません、これには深い事情がありまして、彼には今僕が注意したところですから
……」
 何故か横から出て来て頭を下げたのは白馬であった。
 「という事はやはり君の仕業って事だね?!」
 「…あ、ああ、何か悪かったな……」
 この後どうなるか、何か弁償しなければならないのか、しかしそのどの予想にも反して
男は涙を流しながら全開の笑顔を見せた。
 「ありがとうありがとう!!君は恩人…いや、神の使いだ!!こうなったら是非最後ま
で僕を見守って下さい!!さあ行きますよ神様!!!時間がないんです!早く!!」
 「はあ〜?あ、一寸…」
 いきなり捲し立てた男は有無を言わせぬ迫力で快斗の手を取ると実に強引に走り出し
た。
…一体何がどうなっているのだろう。
ケーキをぶつけたという負い目もあり、快斗は再びおかしな男に振り回される事となっ
た。
一人取り残された白馬は再び放心した後慌てて追い掛け始めたが視界の隅に映ったものが
その歩みを止めさせた。
まだ例の男は伸びたままであった。
 「しょうがないですねえ…こんな所に何時までも転がしておいたら皆さんの迷惑です
し」
 白馬は名残惜し気に遠ざかって行く二人の姿を目で追いながらも一人引き返す事にし
た。
あくまで通行に邪魔な障害物を取り除く為に。

 あちこちと幼い子供達に案内されるまま町中を歩き回った白尽くめの女は疲労を感じな
がらも文句一つ言わず付合っていた。
普通なら途中癇癪をおこしてもよさそうなものであるが、歩美達の無邪気な振るまいと裏
のない言動は女に安心を与えたようである。
それを証拠に次第にほんの僅かではあるが笑みを浮かべる事もあった。
 「良かったわね、きっと私やあなたじゃこうはいかないわよ」
 「まあな」
 少年探偵団、無茶ばかりするがその奥底に秘められた子供特有の純真さは時に何よりも
武器になる。
それは素直にコナンも認めるところである。
私生活においても同じだ。
正直言って苛々させられたり、逆にその純真さ故に内心傷付けられる瞬間もあったりする
のだがその全てを差し引いても素敵な仲間であり、友達であり…もう一つの幼馴染みで
あった。
やはりあの時別れてしまわなくて正解だったと思う。
 「ねえこっちこっち〜!」
 歩美が一足先に行って手招きしている。
米花公園で最も奥にある高台。
そこにはとても大きな杉の木が一本あり、夕陽に輪郭を浮かび上がらせていた。
 「わあ!綺麗ですね〜」
 少しではあるが町も見渡せるそこで背後の町並と大木とのコントラストを楽しみながら
光彦が素直にそんな感想を漏らした。
 「でしょ〜?ここ歩美のとっておきなの。でね、ここって眺めがいいだけじゃなくて面
白い話があるんだよ」
 「へ〜、どんなんだ?」
 「えっとね、聖なる木の伝説って言って…」
 「……この木の下で告白して結ばれたカップルは永遠に幸せになれる」
 これまで殆ど沈黙を保っていた女はポツリとそう漏らして子供達から離れると一人木の
下へと移動した。
その瞳は暗く沈んでいた。
 「でも、そんなの嘘。ううん、そうじゃなくて、告白どころか約束の相手が姿を現さな
いんじゃ話にもならないわ」
 自嘲気味に笑ったその顔は昏く燃える憎悪すら秘めていて、マイペースで振る舞ってき
た子供達は途端ショックを受けたように固まった。
 (…そうか、この人ここで……)
この公園に足を踏み入れた時から様子が変だとは思っていたが…何と言う偶然か。
 「……だからって、死んだら全てが終わりなんですよ」
 コナンは一歩進み出ると静かに視線を向けた。
女は驚いたように息を呑んで立ち尽くす。
己の気持ちを言い当てられた事もそうだが、限り無く澄んだ空色の瞳のあまりの美しさと
それ故の恐ろしさに、だ。
そこに映る見知った顔が哀しいくらいに醜く見える。
 「…コナン君、それってどういう…」
 歩美の戸惑いを含んだ声にコナンは小さく頷いて答えると再び白尽くめの女を見遣る。
ただ見られていると言うだけで全てが暴かれるような戦慄が彼女の全身を震わせていた。
 「…こ、子供に何が分かるの…。まだ世間に揉まれた事もないくせに知った風な口を聞
かないでよ。世の中にはね、死んだ方が楽だっていう人間もいるの。やっと見つけたの
よ、こんな私でも好きだって言ってくれる人!でも遠距離で、たまに向こうから会いに来
てくれるだけで初めてこっちに招待されて……私勝手に浮かれてたんだわ!」
 「でも、もしかしたらただ用事が出来て遅れているだけかも知れないじゃないですか」
 静かな口調が先程までの子供のものとは懸け離れている事に彼女は気付いていない。
 「わざわざこんな遠くまで招待しといて着る服まで指定して、半日以上なんの連絡もな
く…?ねえ、教えてあげましょうか。私この顔でしょ、もう何度も男に騙されてるのよ。
お金を散々貢がせるだけ貢がせておいて、いざ結婚の段階になると逃げるの。勝手に賭け
の対象にされた事もあるわ。こうして待たせておいて、皆で笑いにやって来た。そして
最後には決まって言うのよ、<誰がお前みたいなブス本気で相手にするかよ>ってね」
 子供に聞かせる話ではない。
しかし今の彼女にはもうそこまでの分別はないのだ。
 「…もう嫌、騙されて笑われるのは嫌よ!惨めな思いもしたくない!!」
 女は泣きながら叫んだ…つもりで、実際には力なく慟哭するばかりだ。
だがコナンは決して今この現実から目を反らす事はなかった。
ただ女を見つめている、深い瞳で。
 (ほら、思ったとおり…あなたはこうして傷付く必要もない事に傷付かなければならな
くなる……。何て不器用で厄介な人なのかしら)
 灰原の視線の先には名探偵の細く頼りない肩がある。
何もかもを背負い込むには小さ過ぎるそれ。
 「……それでも、死ぬのは駄目です。未来の可能性全てを捨てる事になってしまう…」
 コナンは僅かに目を細めて呟きにも似た声を漏らした。
まるで自分自身に言い聞かせるように。
 「もう未来なんかいらないわ。両親は幼い頃死んで、看護学校出て早々に働くまでずっ
と施設で過ごして来た。誰も私一人居なくなったところで困らない、必要とされてない。
何の問題もないじゃない!」
 女の言う事が分からない訳ではない。
コナン…新一自身この姿である自分が現実にこの世の何処にも存在しない幻である事を
知っている。
真実を求める探偵である筈の己が嘘で固めたものである事を……。
協力者や運命共同体の少女は居ても実際にはたった独りきり、投げ出された闇の中必死に
手探りで歩いているのだ。
野放しになっている犯罪組織や、両親、隣人、そして何より自分を待っている幼馴染みの
存在がなければ彼女と同じ気持ちになったかも知れない。
だがそれでも彼の場合実行に移す前に負けたくないという気持ちが勝るだろうが。
興奮した女に掛ける言葉が見つけられず沈黙する。
もしも工藤新一の姿であったならば事態は変わったのだろうか…?
 「…お姉さんが死んだりしたら、歩美は哀しいよ。だって折角お友達になったのに…」
 彼女の声は優しく耳元へ届いた。
コナンは驚いたようにゆっくりと振り返った。
そこには真剣な面持ちで女を見ている子供達。
 「そうですよ、きっとこれまでの男達に目がなかったんです。あなたはあなただけのい
いところが沢山ありますよ!だって今日はずっと僕達に優しく付合って下さったじゃない
ですか」
 「うな重奢ってくれた人だもんな!お姉さん絶対良い人だぜ!!」
 元太は元太で結構真剣であった。
 「…必要とされてないかどうか、あなたが気付いてないだけではないですか…?」
 何故か自分までも胸が暖かくなるのを感じながらコナンは柔らな眼差しを浮かべた。
女はハッとして唇を噛み締める。
その顔には苦悩が昇っていた。
 「…死にたいのなら私は止めないわ。世の中にはね、本当に死んで楽になれる人間はい
るのよ…」
 「灰原さん?!」
 抗議を込めた可愛らしい声が名前を呼べば、灰原は苦笑して女と向き合った。
まるで世界の裏側を覗いてきたような深い瞳を見た瞬間彼女は僅かに身じろいだ。
何なのだろう、あの眼鏡の少年といいこの少女といい…。
 「でも、あなたはここまで私達に付いて来た。本気で死ぬ気ならばさっさと振り切って
山でも何でも行けば良かったのよ。でもそれをしなかったのは、…しかも裏切られた人と
の待ち合わせの場所に黙って戻って来たという事は本当はまだ死ぬ気なんてないって事
ね」
 「そして……まだ心の何処かで信じている」
 コナンが後を続ける。
女は驚愕に唇を震わせた。
指摘されて解る本当の気持ちもある。
それに、彼等の瞳の美しさはどうだろう。
ただ優しいだけとは違う。
余計な蟠りを溶かしてくれる熱さと、ありのままを歪める事なく映し出そうとする高潔さ
と……。
そして彼女はこんな風に本気の声を、瞳を向けられたのは初めての事だったのかも知れな
い。
いや、本当にそうだったのか……?
初めはただの患者と看護婦だった。
旅行に来ていて事故に遭ったと言った。
退院して、それからたった数回でも遠くまで会いに来てくれた人。
その度に真剣な顔と声で名前を呼んでくれたのではなかったか。
 「貴美子さ〜〜〜ん!!」
 そう、こんな風に……??
 響き渡った叫びにも似た声に一同は一斉に振り返った。
道の向こうから一目散に駆け付けて来る者が一人…いや、その一人に引き摺られるように
もう一人。
 「き、貴美子さん、ま、間に合ったんですね、僕は……!!」
 肩でゼイゼイと息をしている男は何故か頭にケーキの破片を沢山のせている。
 「……雅男さん…?!」
 女…貴美子は信じられないと目を見開いて立ち尽くす。
 「すみません、本当にすみません、遅れてしまって…!!実は今日の日の為に作った特
製のケーキをバイトが間違えて他のお客さんに売ってしまって、予約注文のだったんでそ
お客さんを訪ねて廻って探していたんです。でも最後の一つになってお客さんが見付から
なくて、ずっと町を彷徨って……慌てて出たので電話もお金も持たず連絡も出来ずに本当
に…すみませんでした!!」
 何度も頭を下げ、その度にスポンジが溢れて落ちた。
男が着ているのは白いパティシエの制服。
彼はこのケーキを作った店のオーナーにして職人なのである。
呆然としている貴美子に雅男はクリームでベタベタの小さなビニール袋から光る指輪を取
り出すと彼女の指にソッとはめてみせた。
 「神様!神様!!しっかりと見届けていて下さいね〜!!」
 雅男は振り返って他人の振りに徹していた少年に駄目押しするように叫んだ。
少年の顔が引き攣る。
 「本当はここで僕の作ったケーキを一緒に食べながらと思ったのですが色々と事情があ
りまして……。では改めまして、
『白き衣の怪盗様 聖なる木の元にて貴方の持つ 永遠 を頂きに参上します』」
 雅男はカードのメッセージを読み上げた。
 「僕の心を奪った白衣の怪盗、貴美子さん、どうかこの僕にあなたの永遠の愛を下さ
い!きっと幸せにしてみせます!!愛しています!!どうか!!!」
 驚きのあまり放心していた貴美子はやがて頬を真っ赤にしながらゆっくりと頷いた。
そして見つめあう二人はそのまま引き合うままに抱擁する。
何となくその場に居辛くなったコナン達は半ば呆れて、でも嬉しそうにこっそりとその場
を後にする。
 「…何だか分からなかったけど、良かったわね江戸川君」
 「…ああ、ここまで付き合わせちまって悪かったな」
 「私は構わないわ、そんな事よりも私の知らない所であなたが……まあいいわ」
 (あなたが傷付いている事の方が世程恐いもの)
 「んだよ、気になる言い方だなあ」
 そう言って、皆が足を止めたのでコナンもまた立ち止まった。
 「どうしたおメー等?」
 歩美が木の影で思いきり気まずそうに佇んでいる高校生を指差す。
 「ねえコナン君、あの人って何だと思う?」
 「ん〜?さあ…何だろうな。でも妙に気の毒な感じだからずっと目を合わさないでいて
やったんだけど…。まあいいじゃねえか、そんな事よりもう帰ろうぜ」
 こちらからは逆光でよく見えないがその少年は酷く疲れているようであった。
何故神様と呼ばれているのか、何故あの男は頭からケーキを被っているのか気にならない
と言えば嘘かも知れないが、どうでもいいくらいに馬鹿馬鹿しいような気もしたのでコナ
ンは考えるのを止めた。
取り敢えず人一人、いや、二人幸せになったのだ。
だから一人が不幸だとしても差し引き幸せが一人分勝る。
終わり良ければ全てよし、コナンは仲間と共に家路に着いた。

 (俺……何時になったら帰れるんだ?)
 引き返そうとする度神様!と呼び止められひたすら恋人のイチャイチャを見せつけられ
続けた黒羽快斗の我慢は大破まで秒読み寸前であった…。
しかも、驚いた事に女と一緒に居た子供達に覚えがある。
特にあの眼鏡の少年。
江戸川コナン、探偵と言っていた。
ブラックスターの件ではえらいめにあった。
外見に合わぬ鋭く大人びた眼を持つ少年。
咄嗟に死角に立ち光の位置にも気を配ったので恐らく気付かれてはいない。
万一顔を見られたとしてイコール怪盗キッドだとは分からないと思うが…。
今日は厄日か?と快斗は真剣に思いながらしかし再び神様!と呼ばれたのでがっくりと肩
をおとした。

 「ねえねえ快斗、あれからどうだった?」
 「あ〜?何が?」
 ウキウキと尋ねて来る幼馴染みに快斗は突っ伏していた机から顔を上げた。
 「やだ、どうかしたの快斗?」
 あまりに生彩のない顔に青子は目を丸くする。
 「……別に、俺にもまだ繊細なハートが残ってたんだなって昨日一晩中哲学してたんだ
よ」
 それを聞いて青子はクスリと笑う。
 「遅刻して来たと思ったら、その様子じゃ会ってみて理想と違った!なんて快斗ふられ
たなあ?」
 「何でそうなるんだ?」
 「だって告白されたんでしょう?あのケーキのほんとの送り主に」
 「……んな訳ねえだろ」
 内心で何でこいつ知ってんだ?と思う気持ちともう少し焼きもちをやいてくれてもいい
のではないかと複雑な事を思う。
白馬は今朝から警察の要請を受け学校には顔を出していない。
彼から情報が漏れたとは考え難い。
ならばもしかして誰か学校の人間があの通りをたまたま歩いていたのだろうか。
だが青子はどうやら持って来たのは代理でプレゼントの主は女と思っているようだ。
 「え〜?おかしいなあ。だってあのケーキ、プチシャトーの有名な縁結びケーキだった
じゃない。予約限定で包装紙がひと箱づつ違うって言われてるからすぐには分からなかっ
たけどよく見たら小さく店の名前入ってたから気付いたんだよ」
 青子は快斗の予想もしない言葉を口にした。
 (え、縁結びケーキだと〜?!増々気分悪ぃぜ)
汗塗れの男の姿を思い出し快斗は顔を顰める。
 「…それってそんなに有名なのか?」
 「女の子の間じゃ米花公園の伝説の木と同じくらい有名だよ」
 女性の情報能力は侮れない、快斗は素直に感心する。
彼は伝説の木の事も知らなかった。
もしケーキの事も予め知っていれば追い掛けたりなどしなかったのに…。
これからは噂レベルの情報収集も取り入れた方がいいかと真剣に検討する。
 「その木には二つの伝説があってね」
 「二つ?」
 「そう、一つはその木の下で告白して結ばれたカップルは永遠に幸せになれるって言う
のと、もう一つは……」

 「あとはね〜、そのカップルを引き合わせた人達にも不思議な絆が生まれるんだって」
 「へえ〜、歩美ちゃんは物知りですねえ」
 騒がしい教室で何時ものメンバーは一時のお喋りに興じていた。
 「うちのママがそういうの詳しいの。あとは予約限定で縁結びのケーキとかもあるっ
て話だよ」
 「いいな〜それ、俺も喰いてえな」
 「…僕も何時かそんなの貰ってみたいですね」
 光彦は歩美と灰原をチラリと交互に見ながら呟く。
女子二人はすでに別の話に移っている。
その中でコナンは昨日の高校生の事を思い出していた。
 (おいおい、あの訳わかんねえ奴と絆だと〜?冗談だろ?何か厄介そうであんま深く関
わりたくねえタイプだったもんなあ)
 伝説はただの伝説であって欲しい、同じ頃その高校生もまた似たような事を考えていた
のをコナンは知らない。

 数日後、プチシャトーでは店長自らがウェディングケーキを自作する姿があり、それが
伝説の木の元で贈った縁結びケーキのお陰らしいと評判が評判を呼びその店は更に大繁盛
する事となった。

 そして当然伝説の木の伝承もまたその実力を認められる事となったのである。

                                    <END>


お待たせいたしました縁真様、ようやくのお届けです(汗)
リク内容「普通の高校生している快斗と新一(またはコナンちゃん)が小さな事件に巻き込まれてしまう」
でした。でもあれって事件と果たして呼べるのかどうか(大汗)えへへ…(←笑ってどうする)
因にtraditionとは伝承とか伝説という意味です。
楽しく書かせて頂きました(苦笑)ありがとうございました縁真様!




ありがとうございますラト様。
残業と休日出勤で乾いていた私の心を癒してくれました本当に(涙)
一番可哀想なのは快斗君ですね迷い無く。私の大好きなパターンです(笑)
白馬君も出てきてお得ですし♪
さりげなくあの変人さん倒した(?)のが白馬のあたりいい感じですっ。
しかも天然ボケ炸裂っ「食べ物を粗末にするのは〜」発言笑わせて頂きました。
すごくつぼですあそこ。彼が真剣に言っているところが最大級のポイントですよね。
楽しくて、元気の出る作品をありがとうっ。
またきり番踏みににお邪魔します。

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