Though it is the dream that it will wake up someday, let me dream still now・・・
真が快斗にその名をもらってから、1週間が経った。 その間にずいぶんここでの生活に慣れたようで、本当の自分の家であったかのようにくつろいでいる。
快斗もまた、時々は実家へと帰ることもあるのだがほとんどの時間を真と過ごした。 時には学校を途中で帰ってきたり、サボったりすることもあった。 そんなとき真はきちんと行ったほうがいいぞというのだが、真といる方がいいといってそっぽをむいてしまう快斗の子供っぽい態度に苦笑いするだけでそれ以上は言ってこない。 実際は一緒にいたいという気持ちももちろんあるのだが、消えてしまうのではという不安の方が大きかった。
真は日常生活を行ううえで必要なことや一般的な知識はきちんと覚えているらしい。 例えば食事をすることや夜になったら寝ること、子供は学校へ通うつまりは快斗が高校へと通う高校生であるということなどである。 綺麗に消えてなくなっているのは、自分が何者であるかということと周りにいた人たちのこと、なぜこうなってしまったのかということ。
記憶を失ってしまうほどの何かが彼の身に起きたことは確かだ。 それだけでなく時空を越えてしまうほどの何かが。
だが快斗にとってはその経過はなんてどうでもいいことだ。 大事なのはそれを通して今は自分のそばにいるという結果だけ。 それを知ることで失ってしまうのならば、知る必要なんてない。
「なぁ黒羽、俺ちょっと外出てみたいんだけど」
学校帰り、今日も途中で抜けてきてしまってソファでくつろいでいる快斗に、真がキッチンから話しかけてきた。 さすがに何日も篭りっきりだと、体がおかしくなると真は言う。
真はこの部屋に来たときから一度も外へと出なかった。 それは快斗がうまく避けていたせいもある。 なにもわからない真にとって今頼りになるのは快斗の言うことだけだった。 それを知っているから、快斗は時には偽りの情報を真っ白な真の頭の中へと植え付けていく。 卑怯だといわれても痛くも痒くもない。
「そうだな〜、じゃあ今度の日曜一緒にどこかへ行こうか。寺井ちゃんに車出してもらってさ、遠出しよう」 「寺井さん、大丈夫なのか?」
あの日以来、寺井は合間をぬってよく訪ねてくれていたため真とはすでに顔見知りだ。 彼は快斗がやっていることになにも言おうとはしない。
「大丈夫だって、寺井ちゃんも真のこと気にいってるからさ。だから、それまでは我慢してくれよな」 「わかったよ」
相変わらず心配性だな、と真は笑った。 快斗も応えるかのように笑った。
* * * *
「あれ?これは・・・」
いつもよりも遅めに起き出した真は、リビングのテーブルの上に置いてあったCDアルバムに首をかしげた。 真が言っておいたせいか快斗はきちんと学校にいっているらしく、部屋には真ひとりだった。
「もしかして、忘れていったのか?」
それは昨日の夜、幼馴染に貸すのだと言っていたものだ。 ずっと忘れていたら怒りながら今度こそ忘れないでねと釘をさされたのだと言い、渋々用意していた。
「また忘れていってどうするんだよ」
CD片手に真は笑った。 きっと今ごろまた怒られてるんだろうな、と思った。
「そうだ、届けてやるか。学校の名前はわかってるし・・・大丈夫だろう」
快斗は外には出ないほうが言いといっていたが、少しくらいならいいだろうと真は自分の部屋に着替えをするために移動した。 出かける前に、思い出したかのようにベットの脇にあるテーブルの小さな引き出しを開けた。 そこに入っていたのは度が入っていない黒ぶちのメガネ。 変装用に使われるようなそれがなぜここにあるのか疑問に思わなかったわけではないが、今はこれをつけていこうと何の気なしに思った。 そしてテーブルに置きっぱなしだった部屋の鍵を握り、真は部屋を出た。
「もう、今日は忘れないでねって言ったじゃない!」 「しょうがねぇだろ、忘れちまったんだから」
遅刻してきた快斗に、昼休み朝の分まで憂さを晴らすかのような青子の大声がとんだ。 近距離から叫ばれた快斗は、耳をおさえて顔を顰める。
家が隣同士である青子は借りたいCDをとりに行くといったのだが、それが別の場所にあるから快斗が持ってくると約束をしたのだ。 それからすでに何ヶ月も経っている。
「それに快斗、最近全然家に帰ってないでしょ?!おばさんはなにも言わないけど、どこでなにしてるのよ!」 「んなことアホ子にはかんけぇねぇだろ!」 「アホ子じゃないもん!」
いつものごとく喧嘩をはじめたふたりに、快斗が家に戻っていないという言葉を聞きつけた級友たちが夜遊びか〜?なんて言いながら近づいてきた。
「ちげぇよ。知り合いのところに泊まってるんだ」 「なんだ女か?」 「残念ながらはずれ」
なぜか期待に満ちた顔で問いつめてくる級友に、快斗は舌を出した。 ふざけあっている彼らの会話に入っていくことができず、先ほどの勢いはどこにいったか少し離れて青子は見ているだけだった。 その表情はどこか淋しげだ。
「青子、明日は必ず持って来てやるから今日は勘弁な」
それを悟ったのかどうかわからないが、快斗は級友を押しのけてそんな青子に笑顔を向けた。 それに青子も沈んだ気分から浮上する。 しょうがないなぁと笑顔を向けた。
そんなやり取りを遠くから眺めていた紅子はやれやれと軽く息をついた。 ふとなにかの気配を感じて窓の外へと視線を流す。 校門のところに立ち、きょろきょろとあたりを見渡している人物に思わず立ち上がってしまった。 そしてすぐにいまだ友人たちと話している快斗へと視線をむけた。
「ねぇ黒羽君、あなたお兄さんがいたの?」 「は?」
いきなり目の前に来たかと思うとそんなことを言い出す紅子に、快斗は眉を寄せた。 周りにいた他の男子たちは潮がひいたようにふたりから離れていく。 紅子の目が何かを訴えかけようとしていたが、なにが言いたいのかがわからない。 紅子は窓の外を顎でしゃくった。 疑問に思いながらもそれにしたがって外を見て、校門のところにいる人物に驚愕する。
真・・!
ガタンと音をたてて立ち上がると、快斗はすごい勢いで教室を飛び出していった。 いきなりのことに教室にいたものは皆驚く。 紅子だけが冷静に、窓の外を眺めていた。
「真!」 「よう、黒羽」
息せき切ってかけてきた快斗に真は笑顔を向け軽く片手を挙げた。 かなり急いできたようで、快斗は大きく肩を上下させている。
「真、どうしたんだよ!こんなところに来るなんて!」
なにか言おうとした真よりも先に快斗は怒ったように怒鳴った。 それに真は目を瞬かせた。 困っていると思ったから届けてやろうとやってきたのに、なぜ快斗が怒っているのか真には理解できなかった。
「どうした、って・・お前が忘れ物していったから届けに来たんだよ。・・ダメだったか?」
その手にはCDが入っている小さな袋。 困惑して瞳を揺らす真に、快斗は我に返った。
「ごめん、ダメじゃないよ。ただちょっとびっくりしたんだ。助かったよ、ありがとう」
ばつの悪い顔をして苦笑し、持ってきたものを受け取ってくれた快斗に真はほっとして笑顔を見せた。 それにつられて快斗も笑ったが、外にいた数人の生徒が「あれ誰だ?」「見たことあるような・・・?」などとひそひそ話しているのを聞いて真の腕を掴み走り出した。 いきなりのことに真はなすがままだ。
快斗が真を連れてやってきたのは裏門だった。 すぐ近くの木陰に来たときに快斗はようやく手を離し、その場に真を座らせる。 幸い追いかけてきた者はいない。 大人しくしたがっていたがその目は不思議そうに快斗を見つめている。
「ちょっとここにいて。俺すぐに来るから」 「え、すぐ来るって・・おい、黒羽!」
真をその場に残して快斗は再び校内へと戻っていってしまった。 ひとり残された真はなにがなんだかわからずに呆然と見送った。
「快斗〜いきなりどうしたんだよ」 「あの人誰なんだ?知り合いなのか?」
予想通り教室に入った途端質問攻めにあった。 しかし快斗に焦る様子は全くない。 自分の机に腰かけ、かばんに荷物をつめていく。
「さっき言っただろ?今知り合いのところにいるって。あの人ずっと外国にいた俺のいとこでさ、むこうでの生活が長かったからこっちの生活に慣れてなくて、俺が頼まれて面倒みてるんだ」
滑らかに口をついて出る嘘。 表情を全く変えることなく言える自分。 そのことに対して以前は悩むほどにあった罪悪感というものも、今では全く浮かんではこない。
「じゃ、俺帰るから」 「快斗?!帰るって、午後の授業は?!」
かばん片手に再び出て行こうとする快斗の腕を掴み、青子が驚いたように声をかけてきた。 そんな彼女に快斗は持っていた小さな袋を渡す。
「それCDな。確かに渡したぜ?じゃあな」 「ありがとう・・ってこら快斗!!」
青子の叫びを背に受けながら、快斗は教室を出た。 その教室の中に、紅子の姿はなくなっていた。
「あなたが黒羽君の”奇跡の人”?」 「え?」
言われたとおり大人しく待っていた真に突然声がかけられた。 振り向いた先にいたのはセーラー服を着たとても美しい少女だった。
「あの・・?」 「あなた、いつまで『ここ』にいるつもりなの?『ここ』はあなたがいるべきところじゃないのに」
険しい顔をして言う少女に真は戸惑ってしまう。 彼女の言わんとすることが理解できない。
「あなたはあなたにとってとても大切な何かを忘れてしまっている」 「大切な、なにか?」 「そう、それを取り戻すことができれば・・」
「紅子!!」
少女の言葉はやってきた快斗の叫び声に遮られてしまった。 快斗は鋭い眼差しで少女を睨みつけている。 視線だけで人を殺せそうというくらいに物騒なそれにひるむこともなく、少女は肩をすくめただけだった。
「真、行くぞ」
少女の前を通り過ぎて真の前まで来ると、快斗はその腕を掴んで立ち上がらせそのまま歩き出した。 それに逆らうことなく従いながらも、真はもう一度少女の方を見る。 少女は声には出さずに、「オ・モ・イ・ダ・シ・ナ・サ・イ」と口を動かした。 それはまるで言霊のように真へと届く。 そのとき校内に、予鈴の鐘が鳴り響いた。
「おい黒羽待てよ!どうしたんだよ?!」
ものすごい力で腕をつかまれて、快斗がどんどんと歩いていくのに引きずられるように真は来た道をたどっていた。 その力に思わず顔を顔を顰めるが、快斗はそれを緩めることはなく、一度も真の方を振り向くこともないままでどんどんと歩いていった。 それが少し哀しいと思ってしまった。
ようやく腕が解かれたのは真が生活しているマンションの部屋に着いてからだった。
また、そこでようやく快斗は真の方を向く。 いつもと変わらない快斗の笑顔がそこにあった。 いつもはなにも思わずに自然なこととして受け取っているその人懐っこい笑顔。
だが今の真はその笑顔に少し戸惑った。
「黒、羽・・」 「なぁ真、予定を早めて明日でかけようか?」 「明日って、お前学校は?」 「サボるなんていつものことじゃん。早速寺井ちゃんに連絡しないと」
そう言って電話をするために立った。 先ほどの快斗の様子について訊ねようと思ったが、そのタイミングを逃してしまった。 それは聞きづらい雰囲気であったこともある。 結局その日、真は快斗になにも聞くことはできなかった。
* * * *
「すっげー綺麗なところだな・・・」
目の前に広がる景色に、思わず真の口から感嘆の言葉がもれる。 そんな真を見て快斗はにっこりと微笑んだ。 目の前に広がるのは壮大な緑の草原とそのむこうに見える海と空の青の美しいコントラストだった。
昨晩、部屋へと帰ってきたときからふたりにはどこか気まずい雰囲気が流れていた。 というよりも、快斗はいつも通り話しかけてくるのだが、快斗に対する真の態度が少しギクシャクしていた。 それに気づいているだろうに、それでも快斗の真に対する態度はまったく変わらなかった。 あまり快斗と口をきかないまま眠りについた真は、翌朝早朝にたたき起こされることとなった。 普段はもっと遅くに起きていたために久しぶりの(なのかはわからないが)早起きは正直言って辛かった。 今にも再び眠りの世界へ旅立ちそうな真に、快斗は車の中で寝てもいいから今は起きて準備してと言った。 半分寝ていた真は、快斗の言われるままに着替えをし、用意されていた朝食を食べると、マンションの前まですでに迎えにきていた寺井の車に乗り込み、数秒のうちに寝入ってしまった。 そして次に目を覚ましたら、すでに太陽が結構高いところまで昇っていて、目的地にいつのまにか到着していた。 目を開けたら快斗の顔が目の前にあったので驚いた。 手を引かれて車の外へと下り立ち、見せられた光景が緑と青の世界だった。
「ここどこなんだ?東都じゃないよな」 「ここはね、俺の秘密の場所。東都から大分離れたところにある。こっち来て」
そのまま掴んでいた腕を引いて快斗は草原の中に一本だけ立っている木の下へとやってきた。 強い日差しを遮ってくれる木陰が心地いい。 そこに腰をおろすと、真にも隣に座るように促した。 引っ張られるままに真も隣へと腰をおろす。 快斗がその場に寝ころがれば、真もまねをして横になった。 木陰の合間から空の青とそこを流れる白い雲が途切れ途切れに見える。
「よかったのか?秘密の場所に俺を連れてきて」 「真だから、連れてきたんだよ」 「・・・・さんきゅ」
快斗の言葉がうれしかったから、心に従って素直に礼を言った。 俺はいつもこんなに素直だったかと考えてみる。 だが考えてみてもやっぱり頭の中は真っ白なままで、代わりに浮かんできたのは昨日快斗の学校で会ったあの美しい少女の言葉だった。
――――あなたはあなたにとってとても大切な何かを忘れてしまっている
「大切ななにか、か」 「なに?」
真が呟いた言葉を聞きつけて、快斗は顔だけを真の方へと向けた。 真は空を見たままだ。
「昨日黒羽の学校で会ったあの綺麗な子に言われたんだ。俺は大切な何かを忘れてしまっているってね」 「・・・それで?」
幾分顔を強張らせて快斗は上体を起こし、視線を上に向けたままの真の顔を見つめる。
「そう言われれば、確かになにか大事なことを忘れてしまっている気がするんだ。俺にとって、なによりも大切だったはずの『なにか』を・・」 「妬けるな・・・」 「え?」
ぽつりと出された快斗の呟きを聞き取れずに、真がようやく視線を快斗へと向けたときに視界が暗くなり、唇をなにか暖かいものが掠めていった。 それが快斗の唇だったと気づくのに少し時間がかかった。
「くろ、ば・・?」 「俺、真のこと好きだよ。本当に、誰よりも・・」
言うと同時に快斗が覆い被さってきた。 その言葉と行動に真は驚くが払いのけようとはしなかった。
「俺、ずっと真と一緒にいたい。だから・・だから消えたりしないで・・?俺の前から、いなくならないで・・」
わずかに震えてしがみついてくる快斗は、まるで小さな子供のようだ。
本当は昨晩からまったく平気なんかじゃなくて。 どこか様子が違う真にかなり焦っていたし不安でもあった。 真になにかを言ったのであろう紅子に対して理不尽だとはわかっているけれども怒りが込み上げてきた。 真が寝付いたあとにそっと傍まで言ってずっと見守っていた。 彼が、どこかへ消えていったりしないように。
しばし戸惑っていた真であったが、やがておずおずとぎこちない動作でその腕が快斗の背中へと回された。 背中に感じたぬくもりに、少しだけ快斗は顔をあげた。
「俺、まだ自分のこともわからねぇし、色々正直戸惑ってる。でも・・・俺も黒羽のこと好きだよ・・」
そう言ってどこか照れたようにそっぽを向いた真に、快斗ははじめて心からの笑みを浮かべることができた。
再び快斗の唇が下りてくる。 今度は瞳を閉じて、真はそれを受けとめた。
to be continued.
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